イメージ、テーマ、哲学、ライフスタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:14 UTC 版)
「ベイエリア・スラッシュメタル」の記事における「イメージ、テーマ、哲学、ライフスタイル」の解説
ヘヴィメタルの用いるイメージに関して、セイダス(英語版)の結成メンバーであるスティーヴ・ディジョルジオ(英語版)は次のように説明している。 高校でダンス以外の音楽とか、周りとかなり違うこと、例えばほら、ロック、ヘヴィメタル、ハードロックとかそういうのをやろうとするんだったら、そういう格好をする必要があった。いかにもワルなんだぜ〜って格好をしなきゃいけなかったんだけど、俺たちは普通の見た目だったよ。(中略)別にみんなの印象に残ろうとしてたとかじゃなくて、そういう風に振る舞おうとするやつらをチキン野郎だと思ってたんで。(中略)ただ普通の服を着てただけだし、特に意識をしたこともなかったなあ。まあ俺たちはそんな感じだったんだが、今あの頃のことを考えてみると、特にイメージなんかに拘らないエクストリームメタルのスタイルを求めてたのかもね。どんな格好してたってどうだっていいじゃん、って感じの。だから、もう少し後に知ることになるベイエリアスラッシュという新しいムーヴメントにはしっくりきたんだろうなー。 ロゴに関しては、既成のフォントを用いていた過去のメタルバンドに比べ、ベイエリアシーンに属する数多くのバンドはよりDIY的なアプローチを取った。一方で、アルバムのカバーアートにはプロのイラストレーターが採用されることもあった。 歌詞はオカルト、ホラー、死、ウィッチクラフト、戦争、破壊、暴力、黙示、反乱、専制などのテーマを扱っている。 しかし、より現代的なテーマを採り上げるバンドもいる。メタリカの楽曲「メタル・マスター(英語版)」ではハードドラッグの問題が扱われており、楽曲の中のフレーズにはコカインの使用に言及している部分もある。当時、クラックブームはアメリカの数多くの都市で問題となっており、特にサンフランシスコのベイエリアは影響を受けていた。 エクソダスのメンバーは、ライヴでのパフォーマンスで、ロサンゼルスを拠点としたグラムメタルシーンへの軽蔑の念を過激な方法で表現していた。例えば、「ポーザー(英語版)どもを殺せ」というフレーズはステージ上でおなじみのスローガンとして使われていた。ギタリストのゲイリー・ホルトは、当時ヴォーカリストだったポール・バーロフと共にラットやモトリー・クルーのバンドTシャツを着ている人に近づき、ポケットナイフでそのTシャツを引き裂く(もちろん、着ている人の意思がどうであろうと関係ない)、ということをよくやっていたと述懐している。そして、残った布切れは自分たちの手首に「栄誉の証」として巻きつけていたとのことである。ホルトは後にラットのファンになっているが、グラムメタルの持つイメージ先行的なメンタリティに対する批判的な考え方は変えておらず、エクソダスや他のスラッシュメタルバンドはグラムメタルと比べると、より「ミュージシャンシップ、演奏技術、作曲能力、パフォーマンス能力などに裏打ちされた」バンドであるとしている。 ヴァイオレンスは1988年のデビューアルバムをリリースする際にメジャーレーベルと契約しており、これは彼らのような第二世代のスラッシュメタルバンドにとってはまさに偉業であったが、その一方でギタリストのロブ・フリン(英語版)は当時のツアーライフを次のように振り返っている。 俺たちはみんな19歳ぐらいだった。(中略) 荷物はバンに詰め込まれたし、ホテルなんて用意されてないから、人んちの床で眠り込んだりとか、そんなことばっかだった。(当時Vio-Lenceのマネージャーだった)Debbieと何日か出かけたこともあったけど、その時は最高だったよ。デニーズで飯を食えたからね。人間の限界に挑むんじゃないかってぐらいただひたすら食ってみたかったし、それもできればライヴで食いたかったんだが、そんな金なんて一銭も持ってなかった。全然稼げなかったんだよね、いや、これはマジなんだけど、多分一夜のライヴで貰えるのは50ドルとかだったよ。
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