イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立とは? わかりやすく解説

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イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 23:49 UTC 版)

イスラム教徒ミンダナオ自治地域」の記事における「イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立」の解説

第二次世界大戦後フィリピン独立すると、フィリピン政府国民統合し単一国家作ることを目指したが、慣習的なムスリム法のもとで暮らしてきたこの地のモロ人たちはこれを同化政策見て反発した1950年代後半からフィリピン政府ムスリム地域共同体との折衝を図る組織委員会設立し一夫多妻離婚禁ずるフィリピン法律モロ人には適用されない合意なされたがこれは表面的なものであったイスラム教徒キリスト教徒との軋轢続き1970年代からはフィリピンからの分離独立求めモロ民族解放戦線MNLF)とフィリピン国軍との間の武力衝突続発した1986年エドゥサ革命で、ミンダナオへのキリスト教徒移民推進しMNLFとの内戦行ったマルコス政権倒れた後、フィリピン政府ムスリム共同体との話し合いMNLFとの和平協議進め1989年に「自治基本法」(Organic ActRepublic Act No. 6734)が成立しミンダナオムスリム自治区設け憲法上の根拠ができた。政治的対立混乱の中、ミンダナオ島西部南部一帯の州と市で、新設される「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」(ARMM)への加入賛成するかどうか住民投票が行われた(バシラン州コタバト州ダバオ・デル・スル州ラナオ・デル・ノルテ州ラナオ・デル・スル州マギンダナオ州パラワン州南コタバト州スルタン・クダラット州スールー州タウィタウィ州サンボアンガ・デル・ノルテ州サンボアンガ・デル・スル州13州コタバトダピタンディポログゼネラル・サントスイリガンマラウィパガディアンプエルト・プリンセササンボアンガの9市)。 しかしARMMへの加入賛成多数だったのはラナオ・デル・スル州マギンダナオ州スールー州タウィタウィ州の4州だけであった不完全な自治にすぎないというMNLFによる反発の中、ARMMはこの4州だけで1990年11月6日発足した式典自治地域首都とされたコタバト市行われた2001年以前住民投票ARMM入り否決した州や市へARMM拡大するための新法成立したが、マラウィ市とバシラン州イサベラ市を除く)だけがARMM入り希望した。また2006年11月マギンダナオ州北部からシャリフ・カブンスアン州分離し発足したが、2008年最高裁によりARMMには州や市を新設する権限がないとされ創設無効となった

※この「イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立」の解説は、「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」の解説の一部です。
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