イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立
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「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」の記事における「イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立」の解説
第二次世界大戦後フィリピンが独立すると、フィリピン政府は国民を統合し単一国家を作ることを目指したが、慣習的なムスリム法のもとで暮らしてきたこの地のモロ人たちはこれを同化政策と見て反発した。1950年代後半からフィリピン政府はムスリムの地域共同体との折衝を図る組織や委員会を設立し、一夫多妻や離婚を禁ずるフィリピンの法律がモロ人には適用されない合意がなされたがこれは表面的なものであった。イスラム教徒とキリスト教徒との軋轢は続き、1970年代からはフィリピンからの分離独立を求めるモロ民族解放戦線(MNLF)とフィリピン国軍との間の武力衝突が続発した。 1986年のエドゥサ革命で、ミンダナオへのキリスト教徒の移民を推進しMNLFとの内戦を行ったマルコス政権が倒れた後、フィリピン政府はムスリム共同体との話し合いやMNLFとの和平協議を進め、1989年に「自治基本法」(Organic Act、Republic Act No. 6734)が成立しミンダナオにムスリム自治区を設ける憲法上の根拠ができた。政治的対立や混乱の中、ミンダナオ島西部・南部一帯の州と市で、新設される「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」(ARMM)への加入に賛成するかどうかの住民投票が行われた(バシラン州、コタバト州、ダバオ・デル・スル州、ラナオ・デル・ノルテ州、ラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、パラワン州、南コタバト州、スルタン・クダラット州、スールー州、タウィタウィ州、サンボアンガ・デル・ノルテ州、サンボアンガ・デル・スル州の13州、コタバト、ダピタン、ディポログ、ゼネラル・サントス、イリガン、マラウィ、パガディアン、プエルト・プリンセサ、サンボアンガの9市)。 しかしARMMへの加入に賛成多数だったのはラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、スールー州、タウィタウィ州の4州だけであった。不完全な自治にすぎないというMNLFによる反発の中、ARMMはこの4州だけで1990年11月6日に発足した。式典は自治地域の首都とされたコタバト市で行われた。 2001年、以前の住民投票でARMM入りを否決した州や市へARMMを拡大するための新法が成立したが、マラウィ市とバシラン州(イサベラ市を除く)だけがARMM入りを希望した。また2006年11月、マギンダナオ州北部からシャリフ・カブンスアン州が分離し発足したが、2008年に最高裁によりARMMには州や市を新設する権限がないとされ州創設は無効となった。
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