イギリスでの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 05:11 UTC 版)
「ジョージ・プライス (科学者)」の記事における「イギリスでの研究」の解説
W.D.ハミルトンはプライスがいつ彼に連絡を取ったか思い出せなかったが、プライスはハミルトンの1964年の血縁選択の論文を集団遺伝学や統計学の教育無しで読んだと回想した。プライスはダーウィンの自然選択説から導き出される道徳的な結論があまりに残酷だと感じており、(ダーウィンの拡張である)ハミルトンの理論の誤りを見つけ出そうと試みた。そしてプライスの公式と呼ばれる集団中の対立遺伝子の変動を引き起こす共分散方程式を提案した。方程式の最初の部分は以前に李景均やその他の幾人かによって提案されていた。第二の要素によって方程式がマイオティックドライブ、伝統的な自然選択から包括適応による拡張、群選択まで全てのレベルの選択に適用できる。 1970年6月6日にプライスは宗教的な体験をし熱心なキリスト教徒になった。彼は人生であまりに多くの偶然の一致があったと考えた。『復活祭の12日』と題した長いエッセイを書いている。後に聖書の研究を離れ、そのかわりに北ロンドンの貧しい人たちを救済しようと試みた。 プライスはロナルド・フィッシャーの自然選択の基本定理を定式化し、そのためにフィッシャーの定理は広く受け入れられるようになった。1972年にはハミルトンの打ち負かされない戦略から着想を得た動物の対立に関するゲーム理論の論文をネイチャーに投稿した。査読者であったジョン・メイナード=スミスは要約して送り直すよう要求したがプライスは応えなかった。彼はその頃ホームレスの救済に関わっており論文を書き直す意欲はなかった。メイナード=スミスは自ら新たな論文を書き、進化的に安定な戦略と名付けプライスを共同執筆者とすることを認めさせた。メイナード=スミスにできたことは、序文で、この理論の大部分はジョージ・プライス博士の動物の対立に関する論文に依っていると述べることだけだった。
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