イギリスでの著作活動
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「ロバート・ロジャーズ」の記事における「イギリスでの著作活動」の解説
1765年、ロジャーズはイングランドに向かい、その従軍に対する給与を払って貰おうとした。またその名声をもうまく使おうとした。その日誌と著作『北アメリカの簡潔な記述』が出版された。その直後には『ポンティアック:アメリカの野蛮人』と題する戯曲を書いた。これは初期アメリカのドラマとして、またアメリカ・インディアンを同情的に描いたものとして重要である。『ポンティアック』は評論家から酷評を受けたが、これらの出版で幾らかの成功を収め、王室の注目も引いた。国王ジョージ3世に拝謁して北西航路を見付けるための遠征隊を率いるという提案をした後、その航路を探すための勅許と共にミチリマキナック(現在のミシガン州マッキノーシティ)の知事に指名され、北アメリカに戻った。
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