イギリスでの美術学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 14:27 UTC 版)
「アーネスト・トンプソン・シートン」の記事における「イギリスでの美術学校時代」の解説
1879年、オンタリオ美術学校卒業後、絵の勉強をするために単身イギリスに渡り、絵画の名門のロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校に入学する。そこで博物学者を諦めていたシートンに再び博物学者を志すきっかけとなる出来事があった。イギリスで誉れ高い博物館、大英博物館との出会いである。 当初、大英博物館へ足を運んだのは、ロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校の入学試験の課題である絵を描くために名画を見に行くのが目的であった。博物館には図書館もあり、シートンの興味を引く世界中の博物学書が沢山あった。しかし、図書館には21歳未満は入館することができない年齢制限があり、当時19歳のシートンは入館することができなかった。そのことを諦めきれないシートンは、図書館長よりイギリス王太子、イングランド国教会の大主教、首相の許可があれば21歳未満でも入館できると教えてもらう。いてもたってもいられないシートンは、駄目元で三者に手紙を書く。熱意が通じたのか幸運にも返事が返って来て、シートンは図書館長から一生涯使える館友券を手に入れることができた。こうしてシートンはそれから毎日、昼は博物館で絵を描き、夜は10時に図書室が閉館するまで、博物学の本を読み漁った。 しかし、その生活も長くは続かなかった。無理をしたためか体を壊して、トロントに帰郷することとなる。
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