アニメ化構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 01:17 UTC 版)
連載開始以前の時期より本作を原作とするアニメ作品を製作する構想があり、作家で当初製作に参加していた石川好が産経新聞社の月刊誌『正論』1999年12月号に寄稿した手記『特報!いま再び飛び立つ「宇宙戦艦ヤマト」』にて製作構想の発表の他、大まかなストーリー原案などが公開されていたが、それは松本が制作した漫画とは全くと言っていいほど大きく異なっていた。この企画は諸事情でOVA『大YAMATO零号』へと大幅な企画変更を余儀無くされており、主役の宇宙戦艦のデザインが本作に登場するグレートヤマトに酷似しており、登場キャラクターもヤマトシリーズのそれに酷似したものとなっている。 なお、現在「新宇宙戦艦ヤマト」の商標は、「西崎隆二郎」なる人物の名義で登録されている(商標登録番号 第4588650号)。
※この「アニメ化構想」の解説は、「新宇宙戦艦ヤマト」の解説の一部です。
「アニメ化構想」を含む「新宇宙戦艦ヤマト」の記事については、「新宇宙戦艦ヤマト」の概要を参照ください。
アニメ化構想(実現せず)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 19:22 UTC 版)
虫プロダクションによる「虫プロランド」構想(詳細は『新宝島 (テレビアニメ)』を参照)の一環として1963年頃アニメ化が企画された。しかし、この構想は1964年4月には取りやめになってしまう。 1968年になって改めて虫プロでアニメ化が企画され、6月に4分のパイロットフィルムが制作された。北野英明や村野守美が作画を担当したが、当時人気のあった『巨人の星』のようなキャラクターをテレビ局から要請され、デザインは原作から大きく離れたものになってしまった(下記外部リンクを参照。手塚は「星飛雄馬のようなリッキー」と講談社版全集の「あとがき」に記している)。しかし、売り込みには結びつかず、やがて日本興業銀行が「リッキー」という金融債商品を出したことなども一因となって制作は実現しなかった。 本作の内容を紹介したものとして、アニメ雑誌『アニメージュ』の1978年9月号(徳間書店)にフィルムストーリーが掲載され、さらに1999年に河出書房新社から刊行された『手塚治虫絵コンテ大全2 W3』にパイロットフィルムの絵コンテが収録されている。 一方、これとは別に、原作に近いデザインで制作されたイメージボードの存在が確認されている。「虫プロランド」構想時のものとも考えられるが、制作時期等は未詳である。 さらに、虫プロダクションがテレビアニメを開始するにあたり、『鉄腕アトム』の他に本作が候補となっていたという元虫プロスタッフの須藤将三による証言も存在する。この証言について独自に取材を行った津堅信之は、この話は当時広告代理店の萬年社でテレビアニメの放映権交渉を担当した穴見薫(後に虫プロ常務)から須藤が聞いたものであるとし、『アトム』のアニメ化をめぐる他の関係者の証言も考慮に入れた上で、『0マン』は『アトム』のアニメ化を実現するために比較対象として持ち出された企画(一種の「当て馬」)ではなかったかと推論している。
※この「アニメ化構想(実現せず)」の解説は、「0マン」の解説の一部です。
「アニメ化構想(実現せず)」を含む「0マン」の記事については、「0マン」の概要を参照ください。
- アニメ化構想のページへのリンク