アキトゥ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 07:20 UTC 版)
春分(麦秋)の祭りで現代アッシリア暦の正月。(バビロニア語: w:Akitu)ハ・ブ-ニサン(現代アラム語: ܚܕ ܒܢܝܣܢ - w:Kha b-Nisan。「ニサン月〈4月〉の始まり」の意)とも呼ばれる。 元来はシュメールにおける大麦の収穫と芒種を祝う祭り「エゼン・ア・キ・トゥム」(以下シュメール語: ezen á-ki-tum)あるいは「アキティ・シェキンク」(akiti-šekinku。「大麦の刈り入れ」の意)、または「アキティ・シュヌヌム」(akiti-šununum。「大麦蒔き」の意)がアッカドを通じて古バビロニア王国に入ったものが原型。バビロニアにおいては都市の守護神マルドゥクが悪行を働いた地母神ティアマトに勝利したことを記念する行事であり、アッシリアではそれを紀元前683年にセンナケリブが持ち込んだものが最初とされる。 時代は下り、アッシリア人がキリスト教を受け入れた後はハ・ブ-ニサンとして慣習的に祝われていたが、1950年代に現れたアッシリア主義の中で現代と古代のアッシリア人のアイデンティティを結びつけるために、アッシュールの地に初めて建立された神殿の日付から紀元前4750年を紀元とする現代アッシリア暦が制定され、ハ・ブ-ニサンをその正月とすることになり、古代に用いられたアキトゥの呼称も復活させた。 なお、先述のバビロニアのマルドゥク神話はシュメール時代の収穫(=死)と芒種(=新たなる生)を祝うという行為と結びつき、「死と生の繰り返し=悪(闇=冬の長い夜)の死と善(光=太陽)の勝利」という二元論につながり、後世のペルシアのゾロアスターの思想やイランとクルドのノウルーズ、キリストの復活を祝う復活祭などの由来にもなっているともされる。
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