伴野朗とは? わかりやすく解説

伴野朗(ともの・ろう)

1936年(昭11)、愛媛県松山市生まれ東京外語大学中国語科卒。
朝日新聞社在籍中に「中国の旅」を刊行
1976年(昭51)、「五十万年の死角」で第22回江戸川乱歩賞受賞同時に第29回日本推理作家協会賞長篇候補作ともなった
1977年(昭52)に発表した「陽はメコンに沈む」が、1978年(昭53)に第31回日本推理作家協会賞長編賞候補となる。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表したい幌子」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)、「33時間」を発表
1978年(昭53)に「小説現代」に発表した顔写真」が1979年(昭54)に第32回日本推理作家協会賞短編部門候補となる。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した九頭の龍」が、1980年(昭55)に第33回日本推理作家協会賞長編部門候補となる。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した香港ヒルトン殺人事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)「問題小説」に発表した草原特急の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1981年(昭56)に「野性時代」に発表した「甘い脅迫状」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1981年(昭56)に「小説宝石」に発表した美談報酬」が1982年(昭57)に第35回日本推理作家協会賞短編部門候補となる。
1982年(昭57)に「問題小説」に発表した少年証言」が1983年(昭58)に第36回日本推理作家協会賞短編部門候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1982年(昭57)に「野性時代」に発表した傷ついた野獣」で、1984年(昭59)、第37回日本推理作家協会賞受賞同時に1983年(昭58)に「週刊小説」に発表した年賀状の女」も候補となったまた、年賀状の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984(昭59)に「小説新潮」に発表したニコライ皇太子写真」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1989年(平1)に「小説NON」に発表した愉快犯」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1990年版」に収録される。
1992年(平4)に「小説宝石」に発表した人喰い」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1993年版」に収録される。
2004年(平16)、心筋梗塞により死去






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