その後の関係者の行動
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苦楽座・桜隊元関係者氏名行動利根はる恵 映画『ひろしま』、映画『さくら隊散る』に出演。 佐野浅夫 終戦後、憲兵の職務を拝命した時、東大病院に仲みどりが入院したとの知らせを聞き、憲兵の特権を利用し、病院にかけつけた。こうした体験談を2007年8月6日の「被爆62年 2007年 桜隊原爆殉難者追悼会」で語った。 多々良純 映画『原爆の子』に出演、2005年、仲みどりに関して毎日新聞の取材に答える。 八田元夫 「ガンマ線の臨終」(『働く婦人』27号、1949年10月1日)に園井恵子と高山の臨終の様子を書いた。1965年に『ガンマ線の臨終 ヒロシマに散った俳優の記録』(未來社)として刊行。 池田生二 1966年、「『苦楽座移動隊』(桜隊)日誌」を『新劇』誌7月から9月号に連載。1988年、映画『さくら隊散る』を企画。「『捨吉』に三好さんを偲ぶ 『三好十郎』展を観て」を早稲田大学図書館報「ふみくら」(11月5日発行)に書く。1991年8月5日、放送のNHK『現代ジャーナル 原爆とは知らず 女優・園井恵子の戦争』に証言者として出演。 槙村浩吉 1998年7月発行の『彷書月刊』の「特集・劇団『さくら隊』原爆忌」に「丸山定夫の最期− 『さくら隊』事務総長の日録抜書」掲載。1991年8月5日、放送のNHK『現代ジャーナル 原爆とは知らず 女優・園井恵子の戦争』に証言者として出演。 千石規子 核戦争に怯える男の姿を描いた黒澤明監督の映画『生きものの記録』に出演。 薄田研二 映画『ひろしま』に出演。 徳川夢声 1952年9月、徳川夢声が東京都目黒区・天恩山五百羅漢寺に移動劇団さくら隊原爆殉難碑を建立。碑銘を書いた。 藤原釜足 桜隊原爆忌の会会長となる。 周辺の人々氏名行動赤星勝美 元・日本移動演劇連盟職員として、映画『さくら隊散る』に出演。 乃木年雄 戦後、桜隊と一時行動をともにした珊瑚座の元座長として「移動演劇 さくら隊原爆殉難記」を書く。 清水善夫 仲みどりの診察に立ち会った医学生として、映画『さくら隊散る』に出演、2005年、仲みどりに関して毎日新聞の取材に答える。 太田怜 仲みどりの診察に立ち会った医学生として、映画『さくら隊散る』に出演。2005年、仲みどりに関して毎日新聞の取材に答える。
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