その後の鉄道事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 01:37 UTC 版)
計画予定地だった水島、児島、玉野地域にはそれぞれ、水島臨海鉄道(倉敷市-三菱自工)、下津井電鉄(茶屋町-下津井)、玉野市営電気鉄道(宇野駅-三井造船)が運行されていた。 また、玉野市営電気鉄道には玉遊園地から日比製錬所のある渋川海岸方面への延長計画があった。 3路線は接続されることなく、業績悪化により玉野市電は廃止、下津井電鉄は鉄道事業から撤退した。 1988年に児島地域に瀬戸大橋線が開業したが、水島、児島、玉野を鉄道で移動する場合、水島臨海鉄道で倉敷で乗り換え、山陽本線で岡山、瀬戸大橋線や宇野線に乗り換える必要がある。なお玉野と水島を直接運航しているバスもない。
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