その他のガンダムシリーズの作り手や批評家の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:10 UTC 版)
「ニュータイプ」の記事における「その他のガンダムシリーズの作り手や批評家の解釈」の解説
ガンダムシリーズはシェアード・ワールド化され、複数の作り手によって無数の公式作品、準公式作品、非公式な二次創作作品などが生まれている。そうした作品の中でもニュータイプの概念はしばしば物語の題材として取り上げられ、作家によって異なる解釈がなされてきた。 例えば小説家の福井晴敏は、後にアニメ化もされた小説『機動戦士ガンダムUC』を執筆するにあたり、過去のガンダムシリーズを検証した上で、1979年の『機動戦士ガンダム』から1988年の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』までの富野由悠季監督作品で描かれてきたニュータイプの概念には一定の思想や法則性があり、これらがたとえ作劇上のご都合主義で生み出された概念であったとしても、それだけで切り捨てられる概念ではないと結論づけた。福井は過去のガンダムシリーズで描かれてきた、一見すると突飛にも見えるニュータイプの概念の通底に流れる論理を、意欲的に作品に取り込むことを試み、『ガンダムUC』の続編となる2018年の映画『機動戦士ガンダムNT』では、福井なりに咀嚼し、再構成したニュータイプの概念を解釈を作品内で見せている。 ただし、『ガンダムUC』『ガンダムNT』で描かれた再解釈はあくまで福井個人の解釈でしかなく、その解釈を巡っては論争もある。例えば評論家の宇野常寛は、ニュータイプの概念をはじめとする富野が取り組んできたテーマや問題意識は、ガンダムシリーズの世界設定を継承した後年の作り手たちの誰にも継承されなかったとし、福井が描いた『ガンダムUC』についても、富野の作品の表面的かつ安易な二次創作的な模倣にすぎないとして酷評している。福井が、富野が苦し紛れに作ったような設定であってもそれをプロの仕事として評価し、一切を否定せず意欲的に自作へと取り込んでいく方針である一方、宇野はそのような福井のスタンスに対して批判的である。 富野自身はニュータイプの設定について、後発のガンダムシリーズを手掛ける作り手から質問されても黙して答えないという立場を取る。富野は福井が手掛けた『ガンダムNT』のシナリオを「起承転結がしっかり組み立てられている」などとして評価しているが、福井がニュータイプ論を一歩押し進めようとしていることについては「あまり良いことだとは思っていない」とし、作家は独自性を持つべきであるという持論から「福井くんはそれでいいのかという疑問符」がつくと述べ、富野自身の後追いから抜け出してもらいたいとしている。
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