その他のやぐら
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
研究上重要なやぐらだがハイキングコースではなく、あるいはハイキングコースから外れた場所や、通常は立ち入れないところもある。 瓜ヶ谷やぐら群:瓜ヶ谷の東側、葛岡神社北側の谷で5穴からなる。左端の一番大きなやぐらには等身大の地蔵座像を安置する(画像3)。このやぐらは巾470cm、奥行700cm、高さは190cmで短い短い羨道をもつ。第二穴は巾344cm、奥行220cmで奥には高さは151cmの五輪塔が掘り出されており、上部には白い漆喰が残る(画像8)。第三穴はやはり短い短い羨道を持ち、奥と横壁に五輪塔が掘られている(画像6)(鎌倉市指定史跡)。瓜ヶ谷の西側斜面にもやぐらがある(画像4)。 朱垂木やぐら群:(画像8,画像9):西御門谷山中。20窟からなり、朱垂木やぐらはその中央に位置する。このやぐらの特殊なことはそれ自体は納骨窟ではないということ。納骨窟であるやぐら群の中央にあり周囲のやぐら群の供養を行う仏殿の役割とみられている。ただし納骨窟ではないとは正確には納骨穴などがないということであり、羨道左壁に雲形位牌の浮彫があることから蔵骨器などで納骨されていた可能性は残る。通常は本尊たる石仏があっても、仏殿でもあり納骨窟でもあるという方が多い。「構造と内部」の章参照。 日月やぐら:(画像12):釈迦堂口トンネル上尾根やぐら群(釈迦堂切通し直上:鎌倉時代。日と月を模った納骨穴を内部壁に持つ。(「大町釈迦堂口遺跡」として国の史跡に指定) 唐糸やぐら:(画像5):衣張山やぐら群。釈迦堂切通の尾根南面。鎌倉時代中期でやぐらの扉をつけた痕跡が顕著に見られる。(「大町釈迦堂口遺跡」として国の史跡に指定) 釈迦堂奥やぐら群:浄明寺釈迦堂谷奥。宝戒寺普川国師入定窟と伝えられるものもある。井戸のように深く掘られたところに火葬しない多数の人骨があり、中には刀傷のある頭蓋があったことから鎌倉幕府滅亡時に東勝寺で討ち死、または自害した者を埋葬したのではないかとも噂された。また宅地造成で切り崩されたやぐら跡から元弘3年(1333年)の北条氏滅亡の初七日にあたる日付を持つ五輪塔の地輪が見つかっている。 多宝寺跡やぐら群:扇ガ谷山中。覚賢塔という巨大な五輪塔の前面下の段にある。 東泉水やぐら群:東泉水谷。17穴あるがその13号穴には五輪塔や石層塔のような浮彫がある。 お塔の窪やぐら:十二所山中。相輪だけを別石として基台・塔身・屋蓋の三部を一石造とした古い様式の宝篋印塔がある。 伝大江広元の墓:大江広元の墓とされるやぐらは内部は奈良時代のものとみられる。
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