その他「ファイナルカーニバル」に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:00 UTC 版)
「キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン」の記事における「その他「ファイナルカーニバル」に関して」の解説
「ファイナルカーニバル」の披露曲は、キャンディーズとマネジャーの大里洋吉の話し合いによって選ばれた。 先述の通りオープニングでは洋楽カバーが歌われたが、当時の歌手の引退公演でカバー曲から始まることはかなり珍しかった。ただしキャンディーズのコンサートでは以前から洋楽カバーで幕を上げるのが通例だった。 上記についてキャンディーズの大ファンである佐野史郎は、以下のように語っている。「元々彼女たちが所属するナベプロでは、ザ・ピーナッツも洋楽カバーで実力を磨いていた。キャンディーズも洋楽カバーを血肉になるまで練習したことで、他のステージでもロックやソウルを歌いこなすことができたのだと思います」。 全国縦断コンサート「ありがとうカーニバル」公演直前の1週間、キャンディーズやMMPたちは嬬恋村(群馬県)で合宿をして徹底的に練習した。午前中は、ランニングをして長時間のコンサートを乗り切るための体力をつけた。昼食後から夕食までの8時間は、「ファイナルカーニバル」当日に披露する歌の練習をバンドと共に何度も繰り返した。 MMPの西は、「解散コンサートが成功したのは“全キャン連”を中心としたファンの存在が大きかった」と評している。加えて西は後年、「キャンディーズの解散宣言の前と後では、コンサートの観客の雰囲気が大きく変わるのを肌で感じたと回想している。 「ファイナルカーニバル」当日の球場の外には、チケットを入手できなかったファンが「少しでもキャンディーズの近くにいたい」、「コンサートの雰囲気だけでも味わおう」などの理由から数多く集まった。 当日の舞台セットはビル2階ぐらいの高さがあり、MMPはさらにその上のスペースで演奏した。 上記の大きなステージだったことから、リハーサルでは演奏と歌のタイミングを合わせるのに一番苦労した。当時はマイクと音響機器を長いケーブルで繋いでいたため、機器と歌手の距離が遠くなるほど演奏とのズレが生じた。結局本番は、バッグバンドはキャンディーズの振付けに合わせて演奏し、彼女たちはスピーカーから流れる演奏を聞いて修整することでズレをなくした。 当日は、「ファイナルカーニバル」のために作られたキャンディーズの豪華な衣装の数々も見所だった。また、いくつかの衣装チェンジでは歌舞伎の早変わりのような演出で行われたことも、ファンを喜ばせた。 当日は晴天だったが4月初旬で風が吹いていたこともあり、日が暮れてからは徐々に寒くなっていった。 佐野によると、このコンサートの模様を録音したものが当日の夜のラジオ番組で放送されたとのこと。 キャンディーズ解散後、彼女たちとマネジャーの大里の招待で、「ファイナルカーニバル」の関係者全員でタイ旅行をした。 解散コンサートから30年経った2008年4月4日、JCBホール(現:TOKYO DOME CITY HALL)においてファン主催のイベント「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」が開催された。同イベントでは「ファイナルカーニバル」当時のフイルムに合わせてMMPが生演奏し、集結した約2000人のファンを熱狂させた。
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