さまざまな実在説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:46 UTC 版)
オノゴロ島は、神話の架空の島とする説と実在するという説とがある。 伝承が残る地域は近畿地方が中心で、平安前期の古代諸氏族の系譜書である『新撰姓氏録』では、オノゴロ島は沖ノ島など友ヶ島の島々と一説がある。 同じく平安前期に書かれた『新撰亀相記』と鎌倉後期成立の『釈日本紀』では、オノゴロ島の説明に沼島を当てており、近世以降のほとんどはこの沼島説が定説となっていた。明治時代に発行した地名事典である『大日本地名辞書』でも、「オノゴロ島を沼島と為すは至当の説なるべし」と、沼島説を有力に見なしている。 江戸中期の国学者、本居宣長は『古事記伝』により、オノゴロ島は淡路島北端にある絵島と見立てており、絵島説は大神貫道の『磤馭盧嶋日記』でも記載がある。オノゴロ島の候補地は様々な見解があるものの、淡路島周辺の小島であっただろうと考えられている。 また、前述の仁徳天皇が詠んだ『古事記 下巻』の歌を参考にすれば、アハ島(阿波志摩)を淡島明神(和歌山市加太の淡嶋神社)として沼島をオノゴロ島とすれば淡路島から一望できる。またアハ島(阿波志摩)は四国の阿波方面を指すという見方もあるが徳島と浪速を一望できる場所はない。、アハ島についても諸説存在する。
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