かりふぉるにあ丸沈没事故とは? わかりやすく解説

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かりふぉるにあ丸沈没事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:09 UTC 版)

かりふぉるにあ丸」の記事における「かりふぉるにあ丸沈没事故」の解説

1970年1月24日ロサンゼルス港を出港乗員29名。同年2月9日低気圧の中、千葉県野島崎東方320km地点北緯3510東経14355分で大波2度受け航行不能となりSOS発信ニュージーランド船「オーテ・アロア」、自動車運搬船えくあどる」などが救助向かった船員退避の際全ての救命ボート荒天喪失しかりふぉるにあ丸脱出不能に陥っていたため、米軍救難機搭載していた5個の救命ボート投下。しかし船体投下出来ず、「オーテ・アロア」から荒天決死覚悟発進した救難艇によって22人を救助。しかし住船長当時45歳)と三等航海士が退船を拒否し救難艇固定用に下ろしたロープ救難艇絡んだため住船長指示三等航海士ロープ切断するために厨房から持ち出した包丁持って下船直後ロープ自然に外れるが、住船長は自ら沈み行く船と行動共にするとして下船せず、結果的に殉職した。船長最後の言葉は「みんな行ってくれ わしゃ残るわ」である。 船長が船と共に死ぬことを選んだ背景には、当時船員法第12条に「船長の最後退船義務」が規定されていたこと、太平洋戦争において艦長が船と共に死ぬことが事実上不文律化していたなどが挙げられる結局、この事件など契機となり、同年船員法12条から最後退船義務一節削除された。 なおこれとは別に救命艇降下作業中に転落したボートにて漂流していた2人13時間後、川崎汽船所属貨物船えくあどる」に発見され米軍救難機支援の救助された。

※この「かりふぉるにあ丸沈没事故」の解説は、「かりふぉるにあ丸」の解説の一部です。
「かりふぉるにあ丸沈没事故」を含む「かりふぉるにあ丸」の記事については、「かりふぉるにあ丸」の概要を参照ください。

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