折鶴文散図鐔
江戸後期江戸後期赤銅魚子地竪丸形高彫据文象嵌 縦;67.4ミリ横;64.3ミリ |
柳川政次を祖とする柳川家の三代目(早世した直故を三代とする説もある)の直光は旧姓を石田、名前を利左衛門と称し、白銀師幸右衛門の子で享保十八年磐城国相馬の生まれ。十八歳で江戸に出、柳川直政の門にて金工細工を学び、その技術が認められて養子に迎えられ、師の没した二十五歳の時に家業を継いで三左衛門を襲う。他の名工と同様に多くの芸術に造詣が深く、遠州流の茶道も会得して相馬・保科の両家への出入りが許されていたと言われている。三代を継いだ頃にはまだ幼かった直故の実子直春が成長して後、家督をこれに譲って自らは隠居するが、弟子には菊岡家を興した光行、その実弟光政などがおり、また、娘婿の直時には分家させるなど、一門の教育者としても重要な位置にあった。古くは神事に用いられた折紙は、時代とともに貴族文化に融け込んで工芸としても流行し、その一部は祝儀や不祝儀にかかわって様式美が完成され、江戸時代には我が国を代表する文化として一般にも広まったものである。この鐔は、折紙の中では最もよく知られ家紋にも採られている折鶴を題に採り、これを表裏にバランス良く配した図柄。地金は上質の赤銅で深味のある漆黒、同心円状に蒔かれた微細な魚子地の様子も美麗。向きを異にする1つの折鶴は、金と銀による高彫据文象嵌で色合いに重厚な趣があり、折紙の構成線に優しさと温か味が感じられ、それらが持つ静穏な空間美が上品に演出されている。柳川家を代表する名工直光の佳品である。 |

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