おしかわ‐しゅんろう〔おしかはシユンラウ〕【押川春浪】
押川春浪
押川春浪(おしかわ・しゅんろう)
本名押川方存。1876年(明9)、愛媛県松山市生まれ。父の方義はキリスト教界の元老で、東北学院大学の創始者。親戚に桜井鴎村がいる。別名押川春波。
1900年(明33)、東京専門学校(早稲田大学)在学中に巌谷小波の斡旋で「海底軍艦」によりデビュー。
1901年(明34)、「海島探険奇談塔中の怪」を発表。
1904年(明37)、博文館に入社し、「武侠世界」「写真画報」「冒険世界」などの編集に携わった。
1907年(明40)、ドイルのホームズ短編を「ホシナ大探偵」として「武侠世界」に訳す。
1908年(明41)、「冒険世界」の編集に携わっていた三津木春影にフリーマンの「アルミニュームの短剣」を「奇絶怪絶飛来の短剣」の題で「冒険世界」に訳させる。
1912年(明45)、「武侠世界」を創刊。
ジュールヴェルヌの影響を受け、冒険小説というジャンルを確立した作家で、SFの始祖のひとりでもある。また、早稲田地区の淫売窟の浄化に貢献したり、野球普及にも尽力した。早慶戦の祖である三田と稲門のクラブ戦を開催した。
1914年(大3)、急性肺炎のため死去。
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