あがないの協力者であるマリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 16:11 UTC 版)
「マリア崇敬」の記事における「あがないの協力者であるマリア」の解説
カトリック教会における旧約聖書及び新約聖書の解釈と聖伝は、救いの計画における救い主の母である女性の姿について記載しているとカトリック教会は主張している。例として旧約聖書では、キリストの到来が穏やかに準備されてゆく救いの歴史を挙げている。 「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、創世記 3章15節 この記載では罪に陥った人祖に与えられた約束、蛇に対する勝利の約束の中で、あがない主の母である女性の姿が予言的に示されているとしている。新しいアダムであるキリストの傍らで従順であるマリアは、新しいエバであり、その霊的な母性はキリストにおいてすべての人に広がるとされる。聖イレネオや古代の教父の中には、マリアをエバとを対比し、マリアは新しいエバ、「生きる人々の母(すべていのちあるものの母)」と呼び、「エバによって死が、マリアによって命が」もたらされたと述べている者もいる。時が満ち、シオンの娘であるマリアの協力で、新しい救いの計画があらためて開始された。 「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、イザヤ書 7章14節 この記載の中では、聖母マリアのキリストのあがないの業への協力は、懐胎の時から既に始まっているとされている。新約聖書では、聖母マリアを予言的に表現した幻(ヨハネの黙示録 12章 1-9節)についても記載されている。 「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネの黙示録 12章1節 マリアはイエスの宣教活動の間、イエスの言葉を受け入れ、信仰の旅路を進み、子との一致を十字架に至るまで忠実に保った。神の配慮によって十字架のもとに立たずみ、マリアは子とともに深く悲しみ、母の心をもってキリストのいけにえの奉献に自分を一致させたとされている。神は、この一致をマリアに求めたと主張されている。聖母マリアは、キリストのあがないの偉業に関わったとされている。 「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネによる福音書 19章25節
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