【岸澤派家元】とは? わかりやすく解説

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【岸澤派家元】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 21:52 UTC 版)

常磐津節」の記事における「【岸澤派家元】」の解説

代数家元名前名生没年備考初代岸澤式佐 式助 1730年1783年 宮古古式部(右和左古式部)の門弟。岸澤派を常磐津三味線定着二代目古式部。 二 二代目岸澤式佐 市治 1753年1823年 常磐津における三味線岸澤派の基礎整備三代目古式部。初代和佐三 三代目岸澤式佐 二代目 1774年1823年 三代目古式没後、仲助と跡目相続求めて裁判敗訴し憤死遂げる。二代目和佐四 四代目岸澤式佐 初代文蔵 1772年1822年 仲助の実父文化期の岸澤派を統率名古屋客死。 五 五代目岸澤式佐 仲助 1806年1867年 常磐津軋轢生じ不和となる。十一代目守田勘弥叔父四代目古式部。竹遊斎。竹翁。 六 六代目岸澤式佐 初代佐吉 1833年1898年 幕末・明治期の岸澤派家元常磐津家元との和解後は常磐津節地位確立貢献五代目古式部。 七 七代目岸澤式佐 二代目佐吉 1859年1944年世古式部家元預けていたため、彼の退任前後合わせ八代目式佐も名のる。七代目古式部。 八 八代目岸澤式佐 七代目式佐に同じ。 九 九代目岸澤式佐 四代目佐吉 1892年1979年 七代目古式部の養子となるが返上して独立一時期常磐津正派を樹立常磐津勘右衛門。 十 十代目岸澤式佐 五代目佐吉 1909年1962年 七代目古式部の実子大正・昭和期の岸澤派家元十一 十一代目岸澤式佐 六代目佐吉 1943年2013年 十代目式佐の実子伯父八代目坂東三津五郎

※この「【岸澤派家元】」の解説は、「常磐津節」の解説の一部です。
「【岸澤派家元】」を含む「常磐津節」の記事については、「常磐津節」の概要を参照ください。

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