『O嬢の物語』と退職
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「O嬢の物語」の初演については、現役の女教師が露骨な性描写のある小説を舞踊化し、出演するということで話題になり、前評判が高まった。その反面、ミカは勤務先で職員会議にかけられ、またPTA役員会も開かれた。自主的に中止することを促されるも、ミカは作品の内容を観て判断してほしいと述べ、上演の意思を明らかにした。講演の5日前には、勤務先の校長が東京都の教育委員会に、下記の3つの問題点を挙げ、指導を仰いだ。 公演のポスターに「性」の文字が印刷されていること(「女性の性を追求する」という文章) 取材のため、週刊誌記者が勤務先の学校を訪れたこと ミカに、教職と舞踏を両立させる資質があるか、疑わしいこと この翌日、ミカは公演の前に辞表を提出して退職するよう促される。これはチケットの販売が地方公務員法に抵触するからであるという理由であった。また、公演の内容によっては免職処分となり、その場合、自主退職の場合と異なり退職金が給付されないという説得もなされた。悩むミカであったが、最終的には在職したまま公演に踏み切った。 1967年10月、「O嬢の物語」初公演が行われた。舞台美術に金子國義、ポスター・チラシ制作に宇野亜喜良、衣装制作に四谷シモンなどが協力した。性的な描写、特にミカが全裸になって背中に精液に見立てた消火器の泡をかけられる場面が「週刊新潮」などで話題を呼び、同年12月には再演された。この再演は満員の盛況であったが、終幕のシーンでは興奮した観客がミカの体に触れ、衣装の鳥の羽根を引きちぎるというハプニングが起こった。これについて当のミカは、最終場面で観客が登場人物となる演出が成功した結果であると述べた。メディアによる評価は賛否両論で、ミカの試みを評価するものもあれば、観客はヌードが見たいだけであったと切り捨てるものもあった。 ミカは再演終了後に勤務先の中学校に辞表を提出し、1968年3月をもって11年間の教師生活に終止符を打った。
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