『ボートの三人男』とその後の経歴
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ジェロームは新婚旅行から帰ると、すぐに『ボートの三人男』を書き始めた。小説には、彼の妻の代わりに親友のジョージ・ウィングレイヴ(ジョージ)とカール・ヘンチェル(ハリス)が登場する。これによりジェロームは、テムズ地方の歴史と絡み合った、滑稽な(なおかつ感傷的ではない)状況を創作しやすくなった。1889年に出版された『ボートの三人男』は、すぐに大当たりし現在にいたるまで刊行され続けている。その人気たるや、テムズ川の(公式に登録された)ボート数が出版から一年で50%も増加したほどである。テムズ川への観光客の誘致にも大きく寄与した。はじめの20年間のうちに、全世界で百万部以上が販売された。『ボートの三人男』は映画、テレビ、ラジオ、舞台劇、そしてミュージカルにもなった。その文体は、(イングランドに限らず各所で)多くのユーモア作家や風刺作家に影響を与えた。『ボートの三人男』がいまだに命脈を保っている理由は、そのスタイルと、時代・場所の変化に影響されない関係性をうまく選択したことにあると言えるだろう。 本の売り上げがもたらした経済的な安定によって、ジェロームは全ての時間を執筆に費やすことができた。彼はいくつかの戯曲、随筆、小説を書いた。しかしそれらが『ボートの三人男』の成功を再現することは決してなかった。1892年に彼はロバート・バーによって(キップリングを押さえて)雑誌Idlerの編集者に選ばれた。この雑誌は挿絵付きの風刺的な月刊誌であり、雑誌の謳い文句によれば、「怠惰の価値を理解する」紳士たちを読者としていた。1893年には、ジェロームはTo-Dayを創立した。しかし、彼は経済的な困難と名誉毀損の訴訟によりどちらの出版からも撤退しなくてはならなかった。 1898年、ドイツへの短い滞在が、Three Men on the Bummel(『ボートの三人男』の続編)の構想を生んだ。同じ登場人物たちを外国での自転車旅行に再導入してはみたものの、この本は前作のような生命力と歴史への深い洞察を発揮することができなかった。またこの作品は穏やかな成功を見たに過ぎなかった。1902年に、彼は小説Paul Kelverを刊行する。これは一般に自伝的作品だと見なされている。1908年の戯曲Passing of the Third Floor Backは大衆に受け入れられたとは言い難く、このことはジェロームをさらに陰気にした。
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