『サン・スーシの女』
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「ロミー・シュナイダー」の記事における「『サン・スーシの女』」の解説
ロミーがナチに追われ夫と共に殺害される女性と現代の女性の2役を演じた遺作・『サン・スーシの女』(ジャック・ルーフィオ監督)の撮影はダーヴィットの死後3ヶ月の1981年10月にベルリンで開始された。何度もロミーの病気や息子の死で撮影開始が延期されたが、その企画の段階からロミーが関わり、自身が演じることにこだわった、楽しみにしていた役であった。 息子の死にうちのめされ、心身ともにボロボロの状態だったが、ロミーにとってはカメラの前に立ってしゃにむに働くことだけが、自分に納得のいく唯一の治療だった。劇中、ロミー演ずるエルザが引き取る少年・マックス役のウェンデリン・ウェルナーとの共演をロミーは不安に感じていた。死んだダーヴィットを思い出すからである。したがってロミーとウェルナー少年との間は始めよそよそしいものだったが、撮影が進むにつれ、少しずつ改善されていった。ウェルナーとのカットを全て撮り終えたころ、ロミーは少年を自宅に招き、亀のお守りをプレゼントした。マックスがヴァイオリンで『亡命の歌』を弾き、エルザに微笑みかけるクリスマス・ディナーのシーンでは、痩せやつれたロミーのために何度もドレスの寸法を直さねばならず、最初のテストの時から感情を昂ぶらせたロミーはすぐに泣き崩れてしまった。何度も同じことが繰り返され、苦心の末ようやくカメラに収めることができたという。撮影はパリ、ノルマンディと続き1981年12月末に終了した。撮影終了後、ロミーは娘のサラ、ロラン・ペタンと共にセーシェルに旅行する。帰国後の1982年3月、ロミーはパリから西へ40km、イヴリーヌ県の小さな村ボワシー・サン・ザヴォワールの古い田舎屋敷を購入し、新居改修完了までの仮住まいをパリ7区バルベ・ド・ジュイ通りのアパルトマンに据える。 4月14日の『サン・スーシの女』の封切りを控え、ロミーもプロモーションに参加、フランス国営テレビのインタビューにも答えている。 『サン・スーシの女』はパリ地区で51万人、フランス全土で196万人の観客を動員した。次に出演する映画は、アラン・ドロンと共演のサスペンス映画『L'un contre l'autre』(「対決」 ピエール・グラニエ・ドフェール監督)になる予定で、1982年6月1日から撮影が開始されるはずであった。
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