『サン・スーシの女』とは? わかりやすく解説

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『サン・スーシの女』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:27 UTC 版)

ロミー・シュナイダー」の記事における「『サン・スーシの女』」の解説

ロミーナチ追われと共に殺害される女性現代女性2役演じた遺作・『サン・スーシの女』(ジャック・ルーフィオ監督)の撮影ダーヴィット死後3ヶ月1981年10月ベルリン開始された。何度もロミー病気息子の死撮影開始延期されたが、その企画段階からロミー関わり自身演じることにこだわった楽しみにしていた役であった息子の死にうちのめされ心身ともにボロボロの状態だったが、ロミーにとってはカメラ前に立ってしゃにむに働くことだけが、自分納得のいく唯一の治療だった。劇中ロミー演ずるエルザ引き取る少年マックス役のウェンデリン・ウェルナーとの共演ロミー不安に感じていた。死んだダーヴィット思い出すからである。したがってロミーウェルナー少年との間は始めよそよそしいものだったが、撮影が進むにつれ、少しずつ改善されていったウェルナーとのカット全て撮り終えたころ、ロミー少年自宅招き、亀のお守りプレゼントしたマックスヴァイオリンで『亡命の歌』を弾きエルザ微笑みかけるクリスマス・ディナーのシーンでは、痩せやつれたロミーのために何度もドレス寸法直さねばならず、最初テストの時から感情を昂ぶらせたロミーはすぐに泣き崩れてしまった。何度も同じことが繰り返され苦心の末ようやくカメラ収めることができたという。撮影パリノルマンディ続き1981年12月末に終了した撮影終了後、ロミーは娘のサラ、ロラン・ペタンと共にセーシェル旅行する帰国後の1982年3月ロミーパリから西へ40km、イヴリーヌ県小さなボワシー・サン・ザヴォワールの古い田舎屋敷購入し新居改修完了までの仮住まいパリ7区バルベ・ド・ジュイ通りアパルトマン据える。 4月14日の『サン・スーシの女』の封切り控えロミープロモーション参加フランス国テレビインタビューにも答えている。 『サン・スーシの女』はパリ地区51万人フランス全土196万人観客動員した次に出演する映画は、アラン・ドロン共演サスペンス映画『L'un contre l'autre』(「対決」 ピエール・グラニエ・ドフェール監督)になる予定で、1982年6月1日から撮影開始されるはずであった

※この「『サン・スーシの女』」の解説は、「ロミー・シュナイダー」の解説の一部です。
「『サン・スーシの女』」を含む「ロミー・シュナイダー」の記事については、「ロミー・シュナイダー」の概要を参照ください。

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