『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:37 UTC 版)
「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の記事における「『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)」の解説
港のセットにヤーレン号のミニチュアが係留されている。このミニチュアは、その後別作品でも使用され、2014年時点で片側が黒く塗られた状態で東宝の倉庫に現存していることが確認されている。
※この「『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)」の解説は、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の解説の一部です。
「『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)」を含む「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の記事については、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の概要を参照ください。
『ゴジラ対ヘドラ』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 12:26 UTC 版)
「ゴジラ (2代目)」の記事における「『ゴジラ対ヘドラ』」の解説
出現地点は駿河湾→田子ノ浦→富士市→富士山麓→さかい沢→太平洋。 矢野博士の息子である矢野研の望みに応えるかのように出現し、ヘドラに立ち向かう。しかし、戦うたびに強大になっていくヘドラのヘドリューム光線などの攻撃に苦戦し、その過程で左目を潰されたうえ、右腕も骨が露出するほど溶かされる。最終的にはヘドラの弱点を見つけた自衛隊の隊員たちと協力して倒す。 『怪獣大戦争』以降のゴジラは人間たちの味方に等しく、本作品以降はヒーロー性がより顕著になっていくが、本作品ではヘドラを倒したあとに公害の原因となった自衛隊ら人間たちを睨んで威圧するシーンがある。 本作品のみ、放射熱線を用いて後ろ向きに空を飛ぶシーンがある。また、ヘドリューム光線を防ごうとする際にウルトラマンのスペシウム光線の構えをするカットがあるほか、ゴジラがピアノ線で吊られて仮面ライダーのライダーキックのごとくヘドラに「ゴジラキック」をするシーンも撮られたがカットされ、特写スチールのみ公開されている。特撮監督の中野昭慶は、東宝チャンピオンまつり時代は常に子供たちが驚くようなアイディアを考えていたと述べている。飛行時の形状が『怪獣大戦争』でX星人により宇宙へ連れ出された際の姿に類似していることから、資料によってはこれがきっかけとなって飛行能力を得たと記述している。 スーツアクターの中島春雄は、ヘドラのスーツが重くて動きづらいため、ゴジラが動いて芝居を行う必要があったと述べている。また、子供向けを意識し、火炎を吐く際に腕を上げて前に倒すという動作を行っている。
※この「『ゴジラ対ヘドラ』」の解説は、「ゴジラ (2代目)」の解説の一部です。
「『ゴジラ対ヘドラ』」を含む「ゴジラ (2代目)」の記事については、「ゴジラ (2代目)」の概要を参照ください。
- 『ゴジラ対ヘドラ』のページへのリンク