『ひょうきん族』以降
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1981年10月開始の人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』では、他のディレクターたちと共に「ひょうきんディレクターズ」と称して番組に出演。レコードまで発売した。定年前に役員待遇に昇格し、役員任期満了後もひょうきんディレクターズの中では唯一、嘱託としてフジテレビに籍を置いている。 ひょうきんディレクターズ時代のクレジットは「三宅デタガリ恵介」。「デタガリ」の由来は、自分の手掛けている番組に出たがりだから。取材やロケでも目立つためにと、赤いシャツやセーターを着るようになったという。 舞踊家の家系であるためか、1982年10月には同じフジテレビのテレビアニメ『ぼくパタリロ!』の2代目エンディングテーマ「クックロビン音頭」の振り付けも担当した。 1987年には横澤彪の後を継いで『ひょうきん族』のプロデューサーに昇格し、ディレクター兼務となるが、1989年の10月の番組終了後、三宅は再びディレクター業務に専念することとなる。番組プロデュースは直属の部下である加茂裕治が担当することが多かったが、『はやく起きた朝は…』など、三宅がプロデューサーを務める番組も存在した。2008年に定年を迎えたが、定年直前に役員待遇ゼネラルディレクターに昇進。以降はディレクターを担当することが少なくなり、一時的にプロデューサー・チーフプロデューサーを中心に担当していた。 2008年12月20日には、日本テレビ『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』にフジテレビディレクターとしてVTR出演した。 2011年4月10日には大阪まで赴き、テレビ大阪の『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』に元NHK報道キャスターの手嶋龍一と共にゲスト出演。「テレビに未来はあるのか!?」のテーマで、司会のやしきたかじんと現在のバラエティ番組の問題点などを議論した。 2012年7月7日放送の『新・週刊フジテレビ批評』にゲスト出演し、第1回の総合演出を担当した『FNS27時間テレビ』の裏話などを話した。 2011年2月に役員任期が満了したが、その後も石田弘と同様に嘱託でフジテレビに籍を残しているほか、フジテレビと関連が深い制作会社・千代田企画の社長も兼務している。 2011年の『FNS27時間テレビ めちゃ²デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』では、ビートたけしに対し『さんま・中居の今夜も眠れない』の中で行われる矢部浩之のマラソン中継に出演するようさんまとともにオファーをかけたことが明かされている。
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