「U505」の捕獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:59 UTC 版)
「ガダルカナル (護衛空母)」の記事における「「U505」の捕獲」の解説
6月4日、第22.3任務群はフランス領西アフリカ地域のブランコ岬(英語版)から150マイル離れた洋上を航行していた。朝、ガダルカナルは定例の対潜哨戒機を発進させた。すると、1機のTBM アヴェンジャーが小さな目標を確認した。この目標は、ギニア湾での80日間の作戦を終えてブレストに帰投する途中の「U505」だった。アヴェンジャーからの報告を受けた第22.3任務群は、護衛駆逐艦を「ガダルカナル」の前方に出し、横陣で捜索を開始した。しばらくの後、「シャトレイン」が海中の目標を探知し、ヘッジホッグで攻撃を開始したが、これは上手くゆかなかった。「シャトレイン」は「ガダルカナル」の航空機を呼び寄せ、1機のワイルドキャットは目印のための機銃掃射を行った。「シャトレイン」は二度目の攻撃に入り、爆雷を投下。これが有効打となり、「U505」は深深度に沈下していき、重油を流出させた。「U505」は敵艦隊の真ん中に入り込んだことを悟り、さらに爆雷攻撃で危機的状況に陥ったため、浮上して降伏し乗員の生命を助けた後、艦を自沈させる事とした。「シャトレイン」の至近に浮上した「U505」は、バルブを開いて乗員を退避させた後に放棄されたが、動力を止めておらず体当たり攻撃を画策していると疑われた。「シャトレイン」はこれに対して魚雷を1本発射したが、命中しなかった。 ギャラリー艦長が待ち望んでいた展開がやってきた。ギャラリー艦長は、かねてからこの事があるのを予期して、捕獲班を組織して訓練を行っていたのである。やがて、アルバート・デヴィッド(英語版)中尉が指揮する捕獲班が乗っている「ピルスベリー」が到着し、捕獲班は動き回る「U505」に飛び乗った。捕獲班は2つのグループに分かれ、デヴィッド中尉らのグループはバルブを閉める作業に入り、他のグループは重要書類を全てかき集めて確保した。「U505」は後部から沈みかかっていたものの、バルブが閉められた結果沈降は止まり、やがて司令塔には星条旗が翻った。洋上に漂う「U505」乗員を救助して捕虜とした後、第22.3任務群は「U505」を曳航する「ピルスベリー」を取り囲むようにしてバミューダに向かった。バミューダまでは2,500マイルもあったが、途中でタグボート「アブナキ」(USS Abnaki, ATF-96) が合流して「U505」の曳航を引き継ぎ、第22.3任務群は6月19日にバミューダに帰投した。 「U505」は、1815年以来洋上でアメリカ海軍によって捕獲された艦船となった。第22.3任務群には殊勲部隊章(英語版)が授けられた。「U505」の調査の結果、計り知れない価値があったと判断された。もっとも、ノルマンディー上陸作戦を2日後に控えたこの戦果は機密事項であり、第22.3任務群の乗員には緘口令が敷かれ、「U505」捕獲が公になったのは戦争が終わってからの事であった。「U505」は戦時国債購入御礼のキャンペーンに使用された後に解体の危機に瀕したが、1954年に保存が決まり、現在はシカゴ科学産業博物館で保存されている。
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