「雪形」という言葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 22:27 UTC 版)
「雪形」というのは、比較的新しい言葉である。日本の信越地方には、雪の文様に名前をつけて暦代わりにしてきた地域が少なくないが、それらを総称する言葉は昭和以前には特に決まってはいなかったと考えられる。 柳田國男は『山村語彙』(1932-1936年)で「ウサギユキ」「ノリモノガタ」など雪の描く形について触れている。 1938年に岩科小一郎は「残雪絵考」を山岳雑誌「山小屋」に発表。岩科は「残雪絵」という呼び方は「歯切れが悪い」と考え、代わりに「雪形」という言葉を考案し、『登山講座』第五巻『山岳語彙』にて発表。1968年刊の『山の民俗』では「雪形考」として60山100種の雪形を紹介している。 山を描く日本画家の中村清太郎が1954年1月14日の朝日新聞紙上で、干支の午年にちなんで「白馬岳の代馬」を取り上げたことから、一般にも「雪形」という言葉が広まっていった。中村は著書『ある偃松の独白』では白馬岳の代馬、蓮華乗鞍の種蒔き爺さん、鑓ヶ岳の鶴首と双鶏、大日岳(白馬)の種蒔き爺さんを紹介している。 田淵行男は1966年3月、東京中日新聞に「残雪の芸術」として雪形の紹介を連載。加藤淘綾や向山雅重とともに「信濃雪形株式会社」というグループを結成、雪形調査を進める。1981年には雪形に関する知識と写真の集大成ともいうべき『山の紋章 雪形』を学習研究社から出版している。 新潟県民俗学会でも1982年に雪形調査のグループができ、1997年にその成果をまとめたものが『図説 雪形』として斉藤義信の手で出版された。
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