「新絶対主義」の終焉
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「フランツ・ヨーゼフ1世」の記事における「「新絶対主義」の終焉」の解説
一連のイタリア統一戦争の敗北、とりわけソルフェリーノの戦いに完敗したことは、オーストリア人にとって屈辱的なことであった。フランツ・ヨーゼフは侍従長グリュンネ伯爵を更迭し、内相バッハを閑職に追いやるなどして体制を一新した。職務にとどまった政府要人は皇帝ただ一人という徹底ぶりだったが、世論はなかなか収まらずに皇帝への不満が高まった。王朝そのものの威信も傷つき、コシュートを中心とするハンガリーの民族主義勢力も再び活動を開始した。 戦争によって財政状態は一層悪化したため、フランツ・ヨーゼフ1世は改革を迫られた。19世紀半ばの銀行家たちは代議制議会を求めており、これがなければ外国債を募ることはできなかったのである。1860年5月31日、帝国議会が拡大され、「新絶対主義」の時代は終焉を迎えた。また1861年には、二月勅許(憲法)で自由主義的改革を一部導入することを認めざるを得なくなる。それはオーストリアを立憲君主国とするものだったが、しかしフランツ・ヨーゼフは依然として外務と軍事に関する多くの権力を保持した。急進的なハンガリー人は皇帝に権力が集中しすぎるとして反対し、その中にはさまざまな形で抵抗運動を続ける勢力もあった。そのためフランツ・ヨーゼフは怒り、軍隊を派遣してハンガリー議会を解散させた。 二月勅許を発した後のオーストリアは、中央集権的な自由主義国家のようであり、ほとんどのドイツ諸国の自由主義・立憲主義的な路線に合致していた。反自由主義的なプロイセンに対抗して、自由主義的なドイツの盟主となる可能性がオーストリアには開かれていた。ドイツの中規模諸国にとってオーストリアの立憲主義的立場は最大の魅力であったにもかかわらず、フランツ・ヨーゼフは強制されない限り立憲主義を受け入れようとしなかった。1864年初頭には、公然と立憲主義を称賛したシュメアリング内相を厳しく叱責している。
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「新絶対主義」の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:46 UTC 版)
「フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)」の記事における「「新絶対主義」の終焉」の解説
一連のイタリア統一戦争の敗北、とりわけソルフェリーノの戦いに完敗したことは、オーストリア人にとって屈辱的なことであった。フランツ・ヨーゼフは侍従長グリュンネ伯爵を更迭し、内相バッハを閑職に追いやるなどして体制を一新した。職務にとどまった政府要人は皇帝ただ一人という徹底ぶりだったが、世論はなかなか収まらずに皇帝への不満が高まった。王朝そのものの威信も傷つき、コシュートを中心とするハンガリーの民族主義勢力も再び活動を開始した。 戦争によって財政状態は一層悪化したため、フランツ・ヨーゼフ1世は改革を迫られた。19世紀半ばの銀行家たちは代議制議会を求めており、これがなければ外国債を募ることはできなかったのである。1860年5月31日、帝国議会が拡大され、「新絶対主義」の時代は終焉を迎えた。また1861年には、二月勅許(憲法)で自由主義的改革を一部導入することを認めざるを得なくなる。それはオーストリアを立憲君主国とするものだったが、しかしフランツ・ヨーゼフは依然として外務と軍事に関する多くの権力を保持した。急進的なハンガリー人は皇帝に権力が集中しすぎるとして反対し、その中にはさまざまな形で抵抗運動を続ける勢力もあった。そのためフランツ・ヨーゼフは怒り、軍隊を派遣してハンガリー議会を解散させた。 二月勅許を発した後のオーストリアは、中央集権的な自由主義国家のようであり、ほとんどのドイツ諸国の自由主義・立憲主義的な路線に合致していた。反自由主義的なプロイセンに対抗して、自由主義的なドイツの盟主となる可能性がオーストリアには開かれていた。ドイツの中規模諸国にとってオーストリアの立憲主義的立場は最大の魅力であったにもかかわらず、フランツ・ヨーゼフは強制されない限り立憲主義を受け入れようとしなかった。1864年初頭には、公然と立憲主義を称賛したシュメアリング内相を厳しく叱責している。
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