「新聞福音伝道」及び協会本部の移転
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「チャールズ・テイズ・ラッセル」の記事における「「新聞福音伝道」及び協会本部の移転」の解説
1904年、ラッセルは自分の訓話を新聞に掲載するために、新聞のための国際的な4名から成るシンジケートが組織された。1908年、新聞による説教をより大きな都市から送るため、ジョセフ・フランクリン・ラザフォードを含む協会の代表者は、ニューヨーク州ブルックリンのヒックス通り13-17番にある建物を購入し「ブルックリン・タバナクル (Brooklyn Tabernacle)」(「幕屋」の意味)と呼んだ。また、ヘンリー・ウォード・ビーチャー牧師の邸宅であったコロンビア・ハイツ124番の建物も購入し、そこは協会の本部職員の宿舎として用いられ、「ベテル (Bethel)」(「神の家」の意味)と呼んだ。協会本部の主要な施設がペンシルベニア州アレゲーニーからブルックリンに移転されたことに伴い、1909年に「一般人の説教壇協会 (Peoples Pulpit Association)」が新たに設立され、1956年以降「ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会 (Watchtower Bible and Tract Society of New York)」と呼ばれている。こうして新聞によるラッセルの説教は、同時に2000以上、合計で4000以上の新聞社によって掲載された。また、1909年から『一般人の説教壇 (People’s Pulpit)』(1911年に『万人の新聞 (Everybody’s Paper)』、1913年に『聖書研究者月刊 (The Bible Students Monthly)』と改名)という小冊子を出版した。さらに、1914年6月30日には、イギリスでの活動を前進させる目的で、イギリスのロンドンに「国際聖書研究者協会 (International Bible Students Association)」(略称は「IBSA」)という宗教法人も設立された。
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