「大手」という区分の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:04 UTC 版)
「大手私鉄」の記事における「「大手」という区分の誕生」の解説
私鉄における「大手・中小」の区分は、日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)における賃上げ交渉の過程で生まれた。 まず1951年(昭和26年)の中央労働委員会による調停により、会社規模・立地条件・労働生産性・人件費率などを考慮して個別に賃金を決める方法が提示された。さらに翌1952年(昭和27年)の調停案ではより具体的に、関東私鉄5社(東武鉄道・東京急行電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄・京成電鉄)、関西5社(阪急電鉄・京阪電気鉄道・近畿日本鉄道・阪神電気鉄道・南海電気鉄道)の計10社の賃金増額率を他と区別した(10社は24 - 26%、他は20%増)。なお、西武鉄道と小田急電鉄はこの年の春闘に参加していなかった。そして1953年(昭和28年)の調停案では、10社に名古屋鉄道と西日本鉄道を加えて「大手12社」と明示した。 私鉄の春闘を報じた新聞各社でも、1952年頃より「大手筋十社」(朝日新聞)、「十大私鉄」(読売新聞)などと表現されるようになり、1954年の春闘報道では「大手十三社」(朝日新聞)、「東京の大手私鉄」(読売新聞)と、「大手」「大手私鉄」といった表現が登場している。 このように、当初は労使交渉における基準でしかなかった「大手・中小」の区分が、のちに他の場面でも用いられるようになり、「大手私鉄」の語が次第に一般化していった。
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