「二つの中国」とは? わかりやすく解説

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「二つの中国」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:46 UTC 版)

中華民国」の記事における「「二つの中国」」の解説

詳細は「二つの中国」を参照 中華民国の政治において特筆すべきことは、中華民国政府中華人民共和国中国共産党政府と同様、自らを「『中国』の正統政府」であるとしている点である。これは、歴代中華民国政府が、蔣介石率い中国国民党中国大陸統治していた1947年施行した中華民国憲法』に基づいて政府樹立していることに由来しており、1949年毛沢東率い中国共産党による北京首都とする中華人民共和国樹立は「反乱団体(「共匪」)による非合法行為としてきた。 このような中華民国政府主張国際的に受け入れられており、中華人民共和国成立後国連はじめとする国際社会における「中国」の代表権中華民国政府にあった香港問題抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていたイギリス除き、ほとんどの西側諸国当初中華民国政府を「『中国』の正統政府」として認めていた。 冷戦下におけるアメリカ合衆国ソビエト連邦中心とした東西陣営政治的駆け引きの中、アルバニア決議によって中華民国政府国連中国代表失い脱退してからは、西側諸国において中華民国政府を「『中国』の正統政府」として承認する国が減少した。そのため2018年時点では、バチカンパラグアイなど、16カ国のみが承認しているという状況である。ただし中華民国政府は、日本アメリカフランスなどをはじめとする多くの非承認国にも「台北経済文化代表処」などと称される利益代表部置いており(中華民国の在外機構の一覧参照)、相手国も台湾にそのカウンターパート設置しているため、国際的な交流一定程度保たれている。 なお中民国バチカン外交関係歴史古く第二次世界大戦中1942年確立されている。一方で中華人民共和国1951年からバチカン断交状態にある。しかし、近年になって両国国交樹立前向きな姿勢示しており 急速に接近している。

※この「「二つの中国」」の解説は、「中華民国」の解説の一部です。
「「二つの中国」」を含む「中華民国」の記事については、「中華民国」の概要を参照ください。

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