「世界のゴムの都」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 21:41 UTC 版)
「アクロン (オハイオ州)」の記事における「「世界のゴムの都」」の解説
アメリカ合衆国においてトラック運送業が生まれた頃、アクロンは Rubber Capital of the World (世界のゴムの都)と呼ばれた。1870年に創業したグッドリッチを皮切りに、1898年創業のグッドイヤー、1900年創立のファイアストン(現ブリヂストン傘下、ブリヂストン・アメリカズ)、そして1915年創立のゼネラルタイヤ(現コンチネンタルタイヤ)と、4社のタイヤメーカーが相次いで創業し、本社をアクロンに置いた。これらのタイヤメーカーは膨れ上がった住宅需要に応えて住宅地を開発し、労働者用の安価な住宅を建てた。グッドイヤーの創業社長、フランク・セイバーリングは自社従業員用の住宅を建てるべく、グッドイヤー・ハイツ地区を開発した。同様に、ハーベイ・ファイアストンはファイアストン・パーク地区を開発した。 1917年、グッドイヤーは子会社グッドイヤー・ツェッペリンを創立し、ツェッペリン型飛行船の建造を開始した。同社の建造した飛行船はまず、第一次世界大戦において敵地の爆撃および偵察に用いられたが、その一方で同社も自社製品の宣伝に用いていた。第二次世界大戦中には、同社は104隻の軍用飛行船を建造した。第二次世界大戦終結後は、同社の飛行船は専ら宣伝に用いられた。飛行船のうち1隻は当地にちなんでアクロンと命名された。 1910年代の10年間で、アクロンは人口増加率201.8%を記録し、全米で最も高い成長を遂げた都市となった。1920年の国勢調査では、アクロンの人口は208,435人を数え、全米で32位、州内ではトレド(243,164人、全米26位)やコロンバス(237,031人、全米28位)に肉薄した。当時のアクロンの人口の約1/3は移民、もしくはその子孫で、その中にはクラーク・ゲーブルもいた。1928年には、アクロンは住民投票の結果に基づいてケンモアを合併し、その人口をさらに増やした。 しかし、工業都市としての高成長の陰で労働問題も起きた。劣悪な環境で、低賃金での労働を強いられていたアクロンのタイヤ工場労働者は、1935年にユナイテッド・ラバー・ワーカーズという労働組合を立ち上げた。翌1936年、グッドイヤーが賃金カットと増産の計画を発表すると、同社の労働者はこれへの抗議として、工場内での座り込みによるストライキを行った。工場を占拠されたため、いわゆる「スト破り」の労働者を臨時に雇って生産を続けることもできず、経営側は工場施設の破壊を恐れて警備員を派遣することにも消極的にならざるを得なかった。市長は警察を動員して事態の収拾を図ったが、警官が出動を拒否した。やがて、グッドイヤーはユナイテッド・ラバー・ワーカーズを認め、より労働者側に有利な条件での労使交渉に臨まざるを得なくなった。
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