「三池山」として角界挑戦・挫折
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「大牟田4人殺害事件」の記事における「「三池山」として角界挑戦・挫折」の解説
K4は、2000年3月、大牟田市立米生中学校を卒業後、2000年4月25日の大相撲新弟子検査に合格した。 松ヶ根部屋に入門して大相撲に挑戦したK4は、入門時は身長173cm・体重142kgだった。 K4は2000年5月、引退した兄K3同様、当時名乗っていた旧姓だった「石橋」(いしばし)の四股名で、2000年夏場所にて、東序ノ口41段目で、初土俵を踏んだ。 その後2000年9月にK4は四股名を地元の地名に由来した「三池山」(みいけざん)に改名し、西序ノ口1枚目で臨んだ同年秋場所以降「三池山」として土俵を踏んだ。 この時、松ヶ根部屋の親方は元大関・若嶋津で、女将はその妻である元歌手・高田みづえだった。K4から「兄K3が早々に廃業した」と聞かされた高田が「お兄さんのようにならないでね」と励ますと、K4は「やめません」と答えており、母校・米生中学校の校長室には親方夫妻や部屋の力士たちとともにK4が写った写真が飾ってあった。高田は事件直後、『週刊文春』(文藝春秋社)の取材に対し「K4の家庭環境・引退後の近況については知らなかった。『もともと粗暴な性格で相撲を辞めてからさらに粗暴になった』と言われればショックだが、そのような捉え方もあるのかもしれない」と答えた。 「三池山」ことK4は2001年(平成13年)3月20日に平成13年春場所10日目の序ノ口の取組において同場所で初優勝した安治川部屋の序ノ口・安馬(後の第70代横綱・日馬富士)と対戦し、上手出し投げで敗れた。 K4は力士「三池山」として2001年5月場所で序二段108枚目に番付を上げたが、それ以上は芽が出ず部屋関係者から「筋が良くない」と判断された。また伯母の死・前述の兄の傷害致死事件が重なったことや本人曰く「甘えが後押しした」ことから、2001年11月の九州場所を最後に引退した。女将は事件当時『毎日新聞』の取材に対し「上下関係・けいこの厳しさに耐えられずに辞めたのだろう。引き留めなかった」と語った。相撲界を引退後、K4自身は知人に対し「腰を痛めたから引退した」「親方の指導が鬱陶しい」と不満を漏らすだけで、母K2もこの時から相撲の話をしなくなった。
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