「三本柱」論の実践と「アジア経済共同体」構想
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「池田勇人内閣の政策」の記事における「「三本柱」論の実践と「アジア経済共同体」構想」の解説
池田は訪欧後、日本のOECD加盟の意向を表明。その機運が一気に高まり、池田は米欧提携による日本分裂回避に成功した。欧州首脳の池田への歓待が、池田の大国意識と結びつき、「三本柱」意識へ昇華したのである。「三本柱」論が重要なのは、第二次世界大戦から立ち直り、経済成長を続ける中で、日本国民にアメリカと欧州に並ぶ「一流国」「先進国」日本という新しいアイデンティティを与えたこと、また自由陣営においてアメリカを超えて欧州へと外交的地平を拡大し「自由陣営の一員」の地位を確立し、日本の国際的地位の向上と、日本の欧州市場参入への糸口をつかんだ。 ヨーロッパから帰国後、池田は"世界の柱の一つ日本"を強調し、「日本は独立後10年間に国民の努力により、世界史上まれに見る復興をしりっぱな国になった」と述べた。 またヨーロッパの訪問でEECの発展を見て、日本だけが孤立しては繁栄しない、アジア各国が資源と労働力と市場を互いに交換し、成長政策が成功すれば、大きな繁栄地帯をつくることができると考えた池田の頭の中に「アジア経済共同体」という新しい夢が生まれていた。
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