「バリツ」とシャーロック・ホームズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:03 UTC 版)
「バーティツ」の記事における「「バリツ」とシャーロック・ホームズ」の解説
詳細は「バリツ」を参照 もしもアーサー・コナン・ドイルが自らのシャーロック・ホームズの推理小説の一篇にて謎めいた言及をしなかったら、バーティツは完全に忘れられてしまったかもしれない。1903年、コナン・ドイルは続編の物語『空き家の冒険』にてホームズを復活させ、そこでホームズはライヘンバッハの滝での闘いで宿敵モリアーティ教授に勝てたのは「バリツ(baritsu)、すなわち日本のレスリングシステム」を使用したものと説明し、「それは私にとってかつてなく非常に有益だった」と述べたのである。 「baritsu」という用語は、『空き家の冒険』英語版のほかに1901年の『ロンドン・タイムズ』紙で「Japanese Wrestling at the Tivoli(チボリでの日本のレスリング)」と題された記事以外には存在せず、後者はロンドンにてバーティツが繰り広げたデモンストレーションで名前の綴りをbaritsuと間違えたものだった。コナン・ドイルが1901年の『ロンドン・タイムズ』記事を資料素材として使用し、綴り間違いの「baritsu」を文字通りに写したようである。特に彼はホームズに「バリツ」を「日本のレスリング」だと定義させており、これは同新聞の見出しで使われているのと同じフレーズであった。 シャーロック・ホームズ物語の人気が非常に高いこと、ホームズがモリアーティに対する自分の生存と勝利を「バリツ」と称したこと、そしてバートン=ライトの格闘技と共にその名前の正しい綴りも急速に大衆の記憶から消えてしまった事実もあって、名称の混乱は20世紀の大部分にわたって続いた。 1958年の『ザ・ベイカー・ストリート・ジャーナル』(ホームズ愛好家向け雑誌)のクリスマス記事で、記者のラルフ・ジャドソンはバリツをバーティツと正しく識別したが、彼の記事自体は最終的には不明瞭であった。1980年代に、研究者アラン・フロムとニコラス・ソームズは「バリツ」とバーティツの間にある関連性を再び主張し、1990年代までに、平山雄一、ジョン・ホール、リチャード・ボーウェン、そしてジェームズ・ウェッブを含む学者達は、シャーロック・ホームズのマーシャルアーツを自信を持って識別することができ、文書化に至っている。
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