「バルジュナ湖(河)」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:55 UTC 版)
「バルジュナ湖」の記事における「「バルジュナ湖(河)」について」の解説
「バルジュナ湖」とは『元朝秘史』における表現で、『元史』では「バルジュナ河(班朱尼/班朮尼/班真/班朮/辨屯河)」、或いは「バルジュン海子(班真海子)」と表記される。また、水が濁った様子を意訳した「黒河水」という表記も見られる。ペルシア語史料の『集史』では「バルジュナ」は水の涸れた、いくつかの泉のある場所で、[チンギス・カンらにとっては]余りにも足らぬ量であった」と説明している。「バルジュナ」とは当時のモンゴルでよくみられる地名で、例えば十三翼の戦いの戦場は「ダラン・バルジュト(Dalan Balǰud)」と呼ばれていた。 バルジュナの位置については諸説あり、大きく分けてモンゴル高原北方のオノン河〜バイカル湖の一帯とする説と、高原東方のフルン湖一帯とする説の2説が存在する。後者の説について、モンゴルのペルレー教授は「東経119度、北緯48度にハルハ河に注ぐモゴイト河に入る『バルチ泉(Balǰi Balaγ)』が今も存在する」と紹介しており、現在ではフルン湖西南に位置するとする説が主流である。
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