「バルジュナ湖の誓い」を巡る研究
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「バルジュナ湖」の記事における「「バルジュナ湖の誓い」を巡る研究」の解説
モンゴル史上に有名な「バルジュナ湖の誓い」であるが、なぜか『元朝秘史』には非常に簡潔な記述しか存在せず、「チンギス・カンが臣下とともに濁水を飲み、再起を誓い合った」ことすら記述されていない。そのため、「バルジュナ湖の誓い」が史実かどうか疑う研究者も存在する。 しかし 、「バルジュナ湖の誓い」は『元史』や『集史』など、多くの史料に言及があり、特に『元史』には前述したようにクビライが「バルジュナ湖の誓い」の故事を引いて臣下を賞賛した逸話も記録されている。また、『元朝秘史』は「バルジュナ湖の誓い」のみならずその後のケレイト部への反撃、ケレイト部の征服についても簡潔な記述しか残しておらず、そもそも『元朝秘史』のこの箇所には大きな欠落が存在するのではないかと村上正二は推測している。 ただし、『元朝秘史』以外の「バルジュナ湖の誓い」にまつわる史料にも問題があることが指摘されている。例えば、『元史』巻120ジャバル・ホージャ伝には西域出身のムスリム、ジャバル・ホージャがバルジュナトの一員であったと記されているが、モンゴル高原統一以前のモンゴル部に中央アジア出身者が所属していたというのは疑問視されている。この他にも「ジャバル・ホージャ伝」にはいくつか問題があり、「バルジュナ湖でチンギス・カンと行動をともにしていたのは19名であった」という記述も実際の人数を表しているのか疑問視されている。また、『元史』巻121スブタイ伝なども時系列の入り乱れがあることが指摘されている。
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