「バラの画家」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 12:58 UTC 版)
「ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ」の記事における「「バラの画家」」の解説
ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌがマルメゾン城にバラ園を営み、世界中からバラを蒐集していることを知ったルドゥーテはバラの絵を描くことを思い立ち、ジョゼフィーヌからバラ園の出入りの許可を得た。以来、ルドゥーテはマルメゾン城のバラや他の植物の絵を描くことになった。 ルドゥーテはいくつかの植物図譜を著すが、その中でも「バラ図譜(Les Roses)」は最高傑作と言われる。 「バラ図譜」はジョゼフィーヌの死後の1817年から1824年にかけて全3巻に分けて出版される。「バラ図譜」には169種のバラが精密に描かれ、芸術的価値だけではなく植物学上も重要な資料となっている。 「バラ図譜」の原画は1837年にベリー公妃マリー=カロリーヌの口利きで国家に買い上げられることとなるが、1871年のルーブルの図書館の火災で消失したと言われている。
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