「バヤーン」時代
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「阿蘇 (装甲巡洋艦)」の記事における「「バヤーン」時代」の解説
1899年(明治32年)3月、フランス、ラ・セーヌのフォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ造船会社で起工。1900年(明治33年)6月12日、進水。竣工後、ロシア帝国海軍太平洋艦隊に編入される。1903年(明治36年)12月2日、2隻(ツェサレーヴィチ、バヤーン)は旅順港に到着した。 1904年(明治37年)7月27日、戦艦レトヴィザン、巡洋艦パルラーダ、アスコリドとともに出撃し大河湾へ進出して日本軍陣地を砲撃。日本の巡洋艦日進および春日との砲戦後旅順に帰還したが、その際にバヤーンは触雷、損傷。そのため8月10日の黄海海戦には参加していない。その後、旅順港内で日本陸軍(第三軍、司令官乃木希典大将)麾下の28cm榴弾砲の曲射砲撃で損傷、大破した。
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