「バプチゾー」の訳語問題
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「明治元訳聖書」の記事における「「バプチゾー」の訳語問題」の解説
7月27日にギリシア語の「βαπτίζω(バプチゾー)」の訳語を巡ってN・ブラウンが「洗礼」という言葉をあてることを不適当をする声明を読み上げる。そこで、1875年(明治8年)1月11日にグリーンが各教派の宣教師に「洗礼」か「バプテスマ」かを問う回覧状を起草する依頼を受ける。翌日回覧状を書きあげて超教派の在日宣教師にアンケートをする。5月8日の会合で、回覧状の答えを集計結果が報告される。その結果「洗礼」対「バプテスマ」は16人対30人となった。故に、1875年に刊行された最初の分冊聖書の『路加傳』は「バプテスマ」の表記になる。 一方、N・ブラウンはカタカナ音写の「バプテスマ」にも不満で、1876年(明治9年)に委員会を脱退し、独自に聖書翻訳を進めて、1879年(明治12年)に『志無也久世無志与』(シンヤクゼンシヨ)を刊行して、「しづめ」とした。
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