「ババア」発言のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:37 UTC 版)
「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の記事における「「ババア」発言のきっかけ」の解説
『東食ミュージックプレゼント』時代の当初は毒蝮がお年寄りを「ババア」と呼ぶことはなかった。1973年8月に毒蝮の母親が死去した際、葬儀の席で母親の遺影を前にした毒蝮は子供のように泣きじゃくったという。その後1週間番組を休んだ後に復帰した毒蝮は、中継場所でやたら元気に大声でしゃべるお婆さんと出会うが、母親を亡くしたばかりの悲しみと元気なお年寄りへの羨ましさとが入り混じった複雑な感情も手伝ってしまい、思わず「憎らしいくらい元気なババアがいる」「ババア、まだ生きてやがって。オレのオフクロは死んじまったというのに、こっちはなんて元気なババアなんだ」と発言してしまった。 番組には抗議の電話が殺到したものの、当時、内包していたワイド番組『こんちワ近石真介です』のパーソナリティを務めていた近石真介は「本当に元気なババアだったらババアでいいじゃないか」と毒蝮を擁護し、謝罪を拒否。近石は、毒蝮と一緒に番組を降板することまで覚悟していたということだったが、それに対して番組スタッフもこのままの路線で行くことを決め、当時のスポンサー・東食もGOサインを出した。つまり、暴走する毒蝮に極力制限を加えない路線を選択したわけである。結果的にこの決断が、番組のターニングポイントとなった。この時、抗議と同時に寄せられた「ババア」発言を支持するリスナーからの声に励みを得たと毒蝮は語っている。 この番組のチーフディレクターによれば、「それが今では、『ジジイババア』と言われたいリスナーが集まってくる。それは、蝮さんだからこその空気感、人柄のなせる業だと思います。」と話している。
※この「「ババア」発言のきっかけ」の解説は、「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の解説の一部です。
「「ババア」発言のきっかけ」を含む「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の記事については、「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の概要を参照ください。
- 「ババア」発言のきっかけのページへのリンク