「たかやま」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:35 UTC 版)
「名鉄キハ8000系気動車」の記事における「「たかやま」時代」の解説
8000系は1965年8月から運行を開始した名鉄神宮前駅 - 高山駅間準急列車「たかやま」の専用車として、まず6両が製造された。当時から塗色は国鉄急行形気動車に準じ、クリーム4号地色に、窓回り、車体裾、屋根水切りが赤11号で、運転台周りの塗り分けも全く同一である。 冷房付のデラックス準急は名鉄沿線から高山方面へ出掛ける観光客に人気を集め、当初は全車指定席で運行されたにもかかわらず、特にオンシーズンは指定席券を確保するのが難しい列車となった。 国鉄は1966年に、走行距離100km以上の準急列車を急行列車へ格上げする施策を行ったため「たかやま」も同年3月から急行列車となった。 変則的運用として国鉄からの要望で1967年7月15日 - 8月26日(8月12日を除く)の毎土曜日に名古屋駅 - 高山駅間の臨時夜行急行「りんどう」に投入された例がある。 「りんどう」は名古屋駅23時28分発 - 高山駅3時05分着のダイヤで下り列車のみの運転とされた。 運用(車両受け渡し)は、当日(土曜日)の「たかやま」と夕方の自社線(ディーゼル特急)運用を終えて燃料を補給後、神宮前駅 - 熱田駅間の連絡線から国鉄側へ入線。上り(復路)は日曜日の高山発が未明の3時過ぎでは乗客が見込めないことや定期の「たかやま」運用に支障を与えないために回送とし、早朝に鵜沼駅から犬山線経由で新川工場(現・新川検車支区)へ入庫とされた。ただし、国鉄では岐阜駅で進行方向が逆転(スイッチバック)するため、犬山線からは下砂杁信号場(西枇杷島駅隣接の三角線)を経由して新川工場へ入庫し、方向転換を行った。 なお名鉄では間合い運用で自社線内の「ディーゼル特急」で運用していたが、「りんどう」運転翌日は7000系などのパノラマカーで代走を行った。
※この「「たかやま」時代」の解説は、「名鉄キハ8000系気動車」の解説の一部です。
「「たかやま」時代」を含む「名鉄キハ8000系気動車」の記事については、「名鉄キハ8000系気動車」の概要を参照ください。
- 「たかやま」時代のページへのリンク