《思う》の謙譲語
「思う」の謙譲語表現
「思う」を謙譲語で表現する場合、「存じる」となるのが一般的です。「存じる」は、「思う」と「知る」の謙譲語として使用される言葉です。「存じます」と表現すれば、「思います」の謙譲語として伝わります。そして、「思っています」を謙譲語にする場合は、「存じております」という形にします。「存じています」でも文法上は問題ありませんが、「いる」の部分も謙譲表現である「おる」にした方が、よりかしこまった表現となります。また、より丁寧で、相手を持ち上げる表現には、「存じ上げる」があります。動詞に付く謙譲表現の「上げる」と組み合わせて、相手に対する強い敬意を示すことができます。ただ、一般的に「存じ上げる」は、「思う」よりも「知る」の意味合いが強いです。そのため、「思う」の謙譲語として用いた場合、その使い方次第では意味が伝わりにくいかもしれません。「思う」の謙譲語での誤用表現・注意事項
「思う」の謙譲語として「存じる」を使用する場合、間違った尊敬語と混同しないよう注意が必要です。よくある誤用には、「ご存じでおります」「ご存じでございます」といった表現があります。「ご存じ」という言葉は、厳密には「ご存知」と書く、「知る」の尊敬語です。そもそも「思う」の意味が含まれていない上に、謙譲語でもありません。したがって、「思う」の代わりに「ご存じ」を使用すること自体が、表現としては間違いです。しかし、謙譲語の中には「ご~申し上げます」「ご~いたします」という風に、頭に「ご」を付ける表現があります。そのため、それらと同じように、「ご存じ」を「思う」の謙譲語のつもりで使ってしまう恐れがあります。そのようなことにならないために、「ご存じ」はあくまでも尊敬語であると、しっかり覚えておきましょう。「思う」の謙譲語での言い換え表現
「存じる」以外の「思う」の謙譲語表現には、「所存」があります。「所存」は「思い」や「考え」を意味する謙譲語で、「所存でございます」という使い方をすると、思っていることを示せます。ただ、「所存でございます」には、明確な意思を持っているという意味合いが含まれます。したがって、ただ漠然と物思いにふけっているような状態を表す場合には向いていません。また、「思う」に謙譲語である「おる」を組み合わせた「思っております」も、謙譲語表現として使用できます。「存じる」より砕けた表現なので、格式高い場面にはふさわしくない表現ですが、謙譲語であることに違いはありません。そして、直接「思う」を使用しているため、「存じる」のように「知る」と混同されることがありません。したがって、そこまでかしこまる必要がなく、誤解のない表現をしたい場合は、「思っております」を使用すると良いでしょう。Weblioに収録されているすべての辞書から《思う》の謙譲語を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

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