'60s 風俗奇譚など
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1960年(昭和35年)には「奇譚クラブ」の後輩誌に当たるSM雑誌、「風俗奇譚」(1960年-75年、文献資料刊行会)が創刊され、男性同性愛専用ページが常設された。同誌では後に「薔薇族」(後述)を創刊することになる藤田竜と間宮浩がライターとして知り合っている。また「薔薇族」の表紙絵も書いた大川辰次、「薔薇族」から「さぶ」に移り表紙絵を描いた三島剛のほか、船山三四、平野剛など、後に商業ゲイ雑誌に舞台を移して活躍するゲイの作家群がデビューしている。同誌にはゲイ同士の文通欄があったり、発展旅館の広告が載っていたほか、女装関係の記事も多く、1961年1月号からは女装者専用の交際欄「女装愛好の部屋」が設けられた。僅か2頁だけだったが女装関係の常設記事が登場した雑誌としては日本初であった。 1964年(昭和39年)7月、「風俗奇譚」の編集者でもあった高倉一が、会員制の月刊同性愛誌「薔薇」を創刊し4年ほど続いた。同誌には「風俗奇譚」にも書いていた間宮や大川、平野、三島剛らも作品を寄せている。 1968年10月には澁澤龍彦責任編集で、エロティシズムと残酷の綜合研究誌という触れ込みで「血と薔薇」(天声出版)が創刊され、4号まで出された(澁澤編集は3号まで)。ゲイ雑誌ではなかったが、創刊号では「男の死」という特集で三島由紀夫のヌード(「聖セバスチャンの殉教/溺死」)や、その他のメールヌード、男色についても取り上げられ、三島由紀夫、稲垣足穂、高橋睦郎、植草甚一、堂本正樹らが同性愛関係記事の寄稿をした。 その他、創刊年は不明だが、1950~60年(昭和20~30年)代に創刊されたと思われる「羅信」(編集者:扇屋亜夫)、「MAN」(No.6が1955年刊、編集・発行人:鹿火屋一彦)、「楽園」があった。こうした同人誌や風俗誌が後述の商業ゲイ雑誌の原型になったと言われている。 一般の雑誌では、商業ゲイ雑誌創刊前の1960年代、「平凡パンチ」に「クールなセックスの時代 同性愛-なぜホモにあこがれるか-」(1965年2月15日号)が載ったのをきっかけに、同誌に同性愛関連記事が多く(6年弱で20本前後)掲載された時期があった。同誌は当時の若者のバイブル的な存在でもあった。
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