陸軍飛行戦隊 独立飛行中隊・独立飛行隊

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陸軍飛行戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 05:31 UTC 版)

独立飛行中隊・独立飛行隊

陸軍航空部隊の中核である飛行戦隊のほか、主に以下の実戦飛行部隊が多数編成されており帝国陸軍の屋台骨を支えていた。これらは基本的に飛行戦隊や飛行団に隷属せず、更なる上級部隊高級指揮官の直属となる「独立(s)」の称呼を冠する部隊である。

独立飛行中隊

独立飛行中隊Fcs、独飛中隊・独飛中)は、約1個飛行中隊(定数はおおよそ10機前後)で編成され飛行師団(飛行集団)や航空軍に直属する。長は中隊長で少佐・大尉が補職。独立飛行中隊は編制が小規模ゆえに特に機動的に運用され、その任務性から飛行分科「司偵」・「偵察(軍偵・直協)」・「対潜」が多かった。

飛行戦隊の支援部隊としては飛行場大隊が充てられるのに対し、規模の小さい独立飛行中隊には飛行場中隊(ac)が主に充てられていた。

独立飛行隊

1941年7月には、上記の独立飛行中隊を2個以上束ね、航空軍や飛行師団(飛行集団)に直属する実戦部隊である独立飛行隊Fs、独飛隊)が編成されている。長は隊長(飛行隊長)で大佐・中佐が補職し、本部を置いた。

一方で、大戦後期に編成された独立飛行隊は規模が小さく特殊なものになっており、1944年末にサイパン島およびテニアン島のアメリカ陸軍航空軍飛行場を長距離夜間奇襲爆撃するため、浜松教導飛行師団にて編成された第2独立飛行隊は新海希典少佐を飛行隊長とし9機の九七重爆を、義号作戦にて義烈空挺隊を輸送し敵飛行場に強行着陸を敢行した第3独立飛行隊は、諏訪部忠一大尉を飛行隊長とし12機の九七重爆を装備・運用していた。

部隊マーク

部隊マークとして「矢印(斜矢印)」を描く飛行第64戦隊の一式戦「隼」二型(キ43-II)。本写真の機体は映画『加藤隼戦闘隊』に「出演」させるため、明野陸軍飛行学校の保有機に第64戦隊第1中隊の「白矢印」を描きなおしたものである
部隊マークとして「稲妻(雷・電光)」を描く飛行第11戦隊四式戦「疾風」一型甲(キ84-I甲)。第11戦隊はそのマークから「稲妻部隊」と謳われていた

陸軍航空部隊の飛行戦隊・挺進飛行戦隊[註 10]・独立飛行中隊・独立飛行隊・飛行団(司令部機)・練習飛行隊・教育飛行隊・錬成飛行隊・直協飛行隊・野戦補充飛行隊・司令部飛行班[註 11]飛行学校航空学校航空士官学校特別攻撃隊など、航空機を有する大半の軍隊および官衙や学校[註 12] は職種を問わず部隊マーク(戦隊マーク・戦隊標識・部隊標識・部隊章)を有し、これを機体に描いていた(描画場所は視認性の良さから垂直尾翼が多く、大掛かりなものは機体側面や機首、水平尾翼にも描かれていた)。

部隊マークは隊員や関係者が自前で考案することが大半であり、これらはフランス空軍に範を取った帝国陸軍公認のもので各々の所属を識別する重要な標識であると同時に、隊員の士気や団結心を高める存在として重要視されていた。中には派手で個性的な意匠も多かったことから、いわゆるノーズアートに相当する側面もあった。

一例として、部隊マークに「矢印斜矢印)」を用い一式戦「隼」の垂直尾翼に描いていた「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊にて、当時整備班長として在隊していた新美市郎元少佐はマーク考案当時を回顧し以下の証言を残している。

隼に機種改変して、どうやら戦も近いらしい、戦隊マークを作らにゃいかんなあってことになって、安間さん(第3中隊長・安間克己大尉)と僕、空中勤務者と、整備の下士官が集まってわさわさやってたんだけど、この矢印なら描きやすいし、格好もいいから、これにしようってことになってね

— 新美市郎中尉(第64戦隊第3中隊整備班長)[8]

海軍航空部隊では極めて簡素かつ地味な識別記号(片仮名・漢字・英字・数字等の組合せ)をもって所属を表しており、ごくわずかな例外を除き、陸軍航空部隊における部隊マークに相当する瀟洒な文化は存在しない。陸軍航空部隊でも、レイテ島の戦いから沖縄戦まで第七六二海軍航空隊指揮下で戦った飛行第7戦隊は、従来のアラビア数字の7を図案化したマーキングを廃して、「7-77」のように、海軍式の所属戦隊と機番号だけの識別符号を採用していた。それより先の台湾沖航空戦から第七六二海軍航空隊指揮下で戦った飛行第98戦隊は「508」のように、3桁の機番号のみを表示していた[9]

なお、2020年3月まで存在した航空自衛隊偵察航空隊がテールマーク(部隊マーク)として使用している「光とレンズ」の意匠は、偵察航空隊初代司令(偵察航空隊長)である生井清2等空佐の発案によって、生井2佐がかつて属した帝国陸軍航空部隊の飛行第33戦隊の部隊マークがモチーフとなっている[10](生井は最終階級陸軍少佐、飛行第33戦隊第1中隊長を経て戦隊長、エース・パイロット)。

中隊色

飛行第50戦隊第2中隊所属の一式戦「隼」一型丙(キ43-I丙)。部隊マーク(「電光」)・スピナー・カウリング先端を中隊色の「黄色」で描く(1943年)。垂直尾翼の「孝」の文字は操縦者が考案・記入した機体愛称[註 13]
飛行第25戦隊第2中隊長(尾崎中和大尉)の一式戦「隼」二型(キ43-II)。部隊マークとして垂直尾翼に白色で縁取られた中隊色の赤色の「帯」、また機体番号「71」を、さらに「中隊長標識」として部隊マークと同様の白縁の赤帯を胴体後部に描いている
飛行第73戦隊所属の四式戦「疾風」一型甲(キ84-I甲)。部隊マークとして垂直尾翼に赤色の「3本ストライプ」、また方向舵下端を黄色の中隊色で塗り分け、さらに機体番号(下二桁)「91」を描いている

これら部隊マークの中でも、飛行戦隊では中隊・飛行隊ごとにマークを色分けすることが多かった(中隊色)。飛行第104戦隊のようにマークではなく、垂直尾翼上端・主翼端・スピナーを塗り分けた部隊、飛行第244戦隊のように戦隊本部のみ垂直尾翼全面を赤で塗り、中隊色の塗り分けは主脚カバーの機体番号にとどめ、マークは共通で白とした部隊など例外も存在する。

例として第64戦隊では「斜矢印」を戦隊本部は「コバルトブルー[註 14]」、第1中隊は「」、第2中隊は「」、第3中隊は「」で、飛行第50戦隊では「電光」を戦隊本部は「」、第1中隊は「赤」、第2中隊は「黄」、第3中隊は「白」で塗り分け区別していた。なお、第50戦隊のエース・パイロットである穴吹智軍曹が自称していた異名「白色電光戦闘穴吹」は、穴吹の原隊である第1中隊の中隊色「白色」・部隊マーク「電光」・飛行分科戦闘」に由来する。

また、第50戦隊(太平洋戦争中期以降)や飛行第72戦隊のように、部隊マークにのみならずプロペラスピナーや、エンジンカウリング先端をも中隊色で塗り分ける戦隊も存在した。

中隊が廃止され飛行隊編制となった大戦中後期の「戦闘」戦隊においても(#編制)、機材の統一運用はするが中隊呼称を使用ないし事実上の中隊編制を復活する場合が多かったため、中隊色自体は継続して使用する部隊もある。

種類

隊号「5」をローマ数字「V」とし描いた飛行第5戦隊の五式戦一型(キ100-I)
隊号「81」を瀟洒にアレンジ・図案化した部隊マークを描いた飛行第81戦隊の一〇〇式司偵「新司偵」三型甲(キ46-III甲)
墜落した飛行第81戦隊所属一〇〇式司偵の垂直尾翼を回収し記念撮影を行うニュージーランド空軍第488飛行隊員。尾翼には第81戦隊の部隊マークが描かれている
隊号「244」を瀟洒にアレンジ・図案化し、さらに「」を重ねた部隊マークを描いた飛行第244戦隊本部小隊(戦隊長小林照彦大尉乗機)の三式戦「飛燕」一型丙(キ61-I丙)
折鶴」を図案化した飛行第54戦隊の一式戦「隼」三型(キ43-III)
補充の「ホ」を「鳥」のように図案化した第1野戦補充飛行隊の一〇〇式司偵「新司偵」三型甲(キ46-III甲)。戦後の再塗装であり原隊の第1野戦補充飛行隊偵察隊は赤色ではなく白色で描いた
落下傘」を図案化した挺進部隊自体の部隊マークを使用した、挺進部隊に属する飛行部隊(挺進飛行戦隊等)の九七式輸送機(キ34)
釜茹で髑髏」を描いた第58振武隊の部隊章

部隊マークのデザインは多種多様であり、また部隊の誇りでもあるために(部隊によっては)意匠の凝らされたものも多い。例として以下のような意匠が使用されていたがこれらは必ずしも固定されていたものではなく、時期や在地といった都合によって意匠を変更する部隊、同部隊で複数のマークを用いる部隊は珍しくなく、帝国陸軍には数百個単位の部隊マークが存在していた。

  • 稲妻(電)/電光 - 11戦隊、31戦隊、50戦隊、独飛48中他
  • 帯/ストライプ - 25戦隊、34戦隊、59戦隊、72戦隊、73戦隊、独飛10中、独飛47中、3独飛隊、1錬飛他
  • 矢印 - 29戦隊、64戦隊、77戦隊、85戦隊、101戦隊、103戦隊、183戦隊他
  • 星 - 60戦隊、62戦隊
  • 飛燕) - 2戦隊、独飛101中、115教飛連他
  • 菊水紋 - 22戦隊、独飛16中、3教飛隊他
  • 日章 - 28戦隊、44戦隊、1航軍司飛班他
  • 隊号(部隊番号)の図案化 - 6戦隊、12戦隊、14戦隊、19戦隊、20戦隊、24戦隊、33戦隊、47戦隊、51戦隊、52戦隊、53戦隊、第62戦隊、63戦隊、68戦隊、70戦隊、74戦隊、104戦隊、244戦隊、独飛71中、21飛団他
  • 組織名・隊名(部隊名称)の図案化 - 航士校、明飛校、浜飛校、宇飛校大刀飛校岐阜飛校常陸教飛師、1野補飛他

上記の一例のみならずさらに自由なマークも大量に考案されており、例として以下のような特に複雑・派手・個性的なマークも存在した。

  • 片翼を広げた「八咫烏」を描いた一〇〇式司偵装備の独立飛行第17中隊
  • 写実的な「天翔る[註 15] を描いた九七式司偵・一〇〇式司偵装備の独立飛行第18中隊[11]
  • 中隊色で塗り分けた方向舵の帯の本数と、胴体に描いた楔や帯の色や本数で所属を表しまた部隊マークとした飛行第1戦隊
  • ローマ数字の「V」(隊号の「5」)を図案化した五式戦装備時の飛行第5戦隊
  • 隊号の「8」と編成地屏東の「へい」を図案化した飛行第8戦隊[註 16]
  • 髑髏(ドクロ)」を描いた二式戦「鍾馗」装備時の飛行第29戦隊
  • 折鶴」を図案化した一式戦装備の飛行第54戦隊
  • 隊号の「7」を「4」つ十字に組み合わせた一〇〇式重爆「呑龍」装備の飛行第74戦隊
  • 隊号の「7」を円形に「8」つ組み合わせ、その中抜きを「花」の絵に見えるようにした三式戦「飛燕」装備の飛行第78戦隊
  • 風にそよぐ「7枚の」を図案化した飛行第248戦隊
  • 明野の「明」と伊勢神宮に由来する「八咫鏡」を意匠化した明野陸軍飛行学校(明野教導飛行師団)
  • 浜松陸軍飛行学校の「ハマヒ(浜飛)」を図案化した浜松陸軍飛行学校
  • 翼の生えた常陸の「常」を描いた常陸教導飛行師団
  • 翼の生えた隊号「57」を描いた第57振武隊[註 17]
  • 「髑髏(ドクロ)」を描いた第58振武隊(特攻隊)および振武桜特別攻撃隊
  • 富士山(富嶽)」と「稲妻/電光」を図案化した富嶽隊(富嶽飛行隊、特攻隊)
  • 翼の生えた「爆弾」を描いた勤皇隊(勤皇飛行隊、特攻隊)

また、第64戦隊は「斜矢印」の採用前はを意匠化した「赤鷲」を九五戦や九七戦に、独立飛行第47中隊は垂直尾翼の「ストライプ」とともに「三つ巴」を二式戦「鍾馗」の操縦席横に描いていた。


  1. ^ それまでは整備には工兵科、空中勤務者には歩兵科騎兵科砲兵科など様々な兵科からの出向者が携わっていた。
  2. ^ 太平洋戦争初期まで2個中隊編制だった第59戦隊(戦闘)、第81戦隊(司偵)ほか、また戦闘機集中運用のために4個中隊編制となったフィリピン防衛戦従軍の第200戦隊(戦闘)など、必ずしも3個中隊編制でない戦隊も少なからず存在した。また、分遣隊として1個中隊を戦隊から一時的に切り離し遠隔地にて独立飛行中隊的な運用をされる戦隊も多々あった。
  3. ^ 戦後に出版された多くの軍事関連書物などでは、大戦後期の飛行隊編成下の飛行戦隊について詳述してるにもかかわらず、本来は誤用の旧称である中隊(飛行中隊)と呼称をしている事が多くこれが浸透している。
  4. ^ 1944年(昭和19年)2月に英海軍駆逐艦パスファインダー」大破の戦果の第64戦隊、1943年12月に米海軍輸送船3隻命中弾の戦果の第68戦隊など。
  5. ^ 陸軍最年少の24歳で第244戦隊長となった小林照彦大尉が有名。
  6. ^ 陸士36期、陸軍士官学校校歌作詞者
  7. ^ 飛行集団の長は集団長(飛行集団長)。
  8. ^ 空中勤務者は教官助教を、地上勤務者も飛校附を中心に機体は飛校機材を使用。
  9. ^ なお、第5航空軍は隷下に飛行師団を擁せず飛行団を直属している。
  10. ^ 挺進連隊の部隊マーク「落下傘」を共用している。
  11. ^ 飛行師団(飛行集団)・航空軍・航空総軍および、方面軍・総軍・防衛総司令部などの高級司令部が司令部人員の輸送や連絡に用いる航空機を運用。
  12. ^ 官衙の中でも陸軍航空審査部飛行実験部(旧・飛行実験部実験隊)はマークを有さず、代わりに機体番号の数字を描いた。
  13. ^ 穴吹智は「吹雪」・「君風」の愛称を付けている。
  14. ^ 矢印自体は白で、縁をコバルトブルーとすることが多かった。
  15. ^ 「虎は千里往って千里還る」の中国(独飛18中の駐屯地)の故事から。
  16. ^ 部隊マークから連想された「タコ八」の愛称を持つ一方、その図案から「翼の生えた8」とも称される。
  17. ^ 同特攻隊には、装備の四式戦「疾風」の機体後端から機首に至るまで側面全体に赤色の「矢印」を描き、さらに「必沈」の文字を記入した大変派手なパーソナルマークで知られる高埜徳伍長が操縦者として居た。

出典

  1. ^ 碇義朗『新司偵 キ46 技術開発と戦歴』光人社、1997年。 
  2. ^ 梅本 (2010a), p.80
  3. ^ 梅本 (2010a), p.113
  4. ^ 梅本 (2010a), pp.94-95
  5. ^ 梅本 (2010a), p.61
  6. ^ 梅本 (2010a), p.118
  7. ^ 梅本 (2010a), p.68
  8. ^ 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年7月、p.13
  9. ^ 神野正美 『台湾沖航空戦』 光人社、2004年11月、pp.90-91、なお、同書p.276に1945年1月2日に行われた飛行第7戦隊のサイパン島攻撃時の写真が掲載されている。
  10. ^ 偵察航空隊OB親睦会 テールマークの由来 2017年10月18日閲覧
  11. ^ 一〇〇式司令部偵察機


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