遠藤周作 メディア

遠藤周作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 23:19 UTC 版)

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主な出演

テレビ番組
CM
映画
ドキュメンタリー

未発表作品

2010年4月25日、未完成の中編小説が書かれたノートが長崎市の遠藤周作文学館で発見されたことが報じられた[37]

2020年2月、長崎市遠藤周作文学館で未発表の完成した小説「影に対して」が発見された[38]。1963年3月より後、40歳以降に執筆されたと推測される[39]、自伝的作品。

短編作品数篇を併録し、同年10月に新潮社から単行本化された[40]

関連人物

  • ジョルジュ・ネラン - ガストン・ボナパルト(『おバカさん』、『悲しみの歌』、『深い河』に登場する人物)のモデルとなった神父
  • 廣石廉二 - 遠藤周作研究者
  • 阿川弘之 - 旧知の仲。遠藤のエッセイの中にも頻繁に登場し、その人柄を「瞬間湯沸かし器」と評している。
  • 北杜夫 - 旧知の仲で、共著を2冊出している。
  • 三浦朱門 ‐ 『わが友遠藤周作 ある日本的キリスト教徒の生涯』(PHP研究所、1997年)がある。曽野綾子との結婚に際しては遠藤が代父となったが、当時三浦は代父がどんなものかよくわかっていなかった。
  • 安岡章太郎 - 学生時代以来の親友で、遠藤の影響でカトリックへ入信。
  • 佐藤愛子- 旧知の友人。遠藤が骨折入院したときに見栄を張って松坂慶子の名前で花束を届けるよう依頼したが、直後に会った際に怪我の具合も訊かずに即代金を請求された旨、エッセイに記している。真偽は明らかでない。
  • 古山高麗雄 - お互い芥川賞作家であり、古くからの友人。競馬の師匠として述べている
  • 吉行淳之介
  • 加賀乙彦
  • 篠田正浩
  • さくらももこ - 生前、遠藤周作と会食をした際、散々からかわれたと著書で述べている。
  • 瀬戸内寂聴
  • 堀辰雄
  • 原民喜 - 先輩作家
  • 柴田錬三郎 - 先輩作家で、遠縁に当たる。遠藤は彼の家に居候していたこともあるほか、遠藤の対談集『ぐうたら会話集 第2集』に収められた対談の中で「君(遠藤)が黒ミサで生まれた子にしろと言ったから眠狂四郎の設定が決まった」と柴田から言及されている。
  • 梅崎春生 - 戦後間もない、学生時代に「ランボォ」という店で初めて会ったらしい。互いにいたずらの腕を競い合った。梅崎春生の死後、色んな思い出話をエッセーで遠藤は語っている。
  • 山口トキコ - テレビ、ラジオでも活躍中の女医。彼女の学生時代、遠藤の「トキちゃん肛門科医になったらどうだい?」の言葉に大きな感銘を受ける。
  • 橋本武 - 灘中学校時代の国語教師。「週刊読売」1974年4月6日号にて遠藤と対談(対談は『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』(日本実業出版社 2012年)p.201-214に再録されている)。
  • 松村禎三 - 『沈黙』を自身の台本でオペラ化した(沈黙 (オペラ) を参照)。
  • 青島広志 - 『黄金の国』を自身の台本でオペラ化した[41]
  • 竹中直人 - コメディアンとして売れ始めた頃、ものまねのレパートリーとしていた。
  • 松坂慶子 - 劇団樹座の演出を担当。

注釈

  1. ^ 遠藤周作は上智大学時代のことに触れられることを極度に嫌がった。浪人時代の回想エッセイなどを数多く発表しているが、上智時代の事には全く触れていない。自作年譜にも載せていない徹底ぶりである。この時期の評論は加藤宗哉が詳しい。
  2. ^ この試験の際に採用されたのが鈴木清順である。
  3. ^ 「海と毒薬」に対する一部からの反発は強く、発表後、遠藤家に「死ね」と書かれた血書や、「日本の恥部を抉ってどうするつもりだ」という脅迫状、果てには日本刀が送り付けられた。
  4. ^ 1953年死去、当時はまだ土葬だった。
  5. ^ 医師森納によれば「医師の諸身分について、江戸時代には封建制上の身分によって大別すれば、藩医・町医師・在医師の区別があった。藩医は、によって召し抱えられた医師である。それに準ずる身分として鳥取藩の場合、東西両分知家と着座家に召し抱えられた医師、即ち陪臣医があった。藩医・陪臣医は俗に“御典医”と呼ばれ、武士身分の処遇をうけた。町医師は、鳥取城下・米子倉吉等の町で町奉行支配を受けた町民医師である。藩医には御医師、無足医師の区別があった。御医師は城詰を命ぜられた医師である。藩臣の礼席上の地位では、御近習の次席に置かれたので、御近習医師とも呼ばれた。次に、士分格医師の初級の者が無足医師である。町医師から抜擢されて藩に召し抱えられ士分取り立てとなった際、まず無足医師とされ、五人扶持を与えられるのが普通であった[19]
  6. ^ 医師森納によれば「御近習医師の筆頭が御匕役で、内科の医師のうち特に業務の勝れた者が選ばれた。御匕役は大体2人か3人で、藩主の日常の健康管理、投薬、膳部の毒味などに当たった[21]

出典

  1. ^ a b c 史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
  2. ^ 湯梨浜町企画情報課(編)「遠藤周作氏のルーツ」『広報ゆりはま』2007年1月号、鳥取県東伯郡湯梨浜町、2007年、2019年3月15日閲覧 
  3. ^ 加藤 2006, p. 不明.
  4. ^ 桑原真夫『フランソワーズ・パストル』論創社 2022年
  5. ^ a b 戸板康二『思い出す顔』(講談社)P.54[要文献特定詳細情報]
  6. ^ a b 第28回文学講座(H27.2.2)”遠藤周作文学館(長崎市)
  7. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)50頁
  8. ^ a b c d e 遠藤 2000, p. 不明.
  9. ^ さくらももこ『さるのこしかけ』(集英社、1992年)25-30頁。
  10. ^ 兼子 1995, pp. 27–28.
  11. ^ 遠藤周作文学全集 vol. 12所収,「合わない洋服」(1967)
  12. ^ a b 長谷川(間瀬) 2008, p. 79-100.
  13. ^ 兼子 1995, p. 28.
  14. ^ カトリック新聞 1979年4月8日付
  15. ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 4-6頁[要文献特定詳細情報]
  16. ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 25-26頁
  17. ^ 「有吉氏らが委員に 新中教審の18氏決る」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月30日夕刊、3版、3面
  18. ^ 『朝日新聞』1979年3月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  19. ^ 森 1993, pp. 15–16.
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 森 1985, p. 98.
  21. ^ 森 1993, p. 17.
  22. ^ a b c d e f g h i j 森 1985, p. 99.
  23. ^ 『遠藤周作のすべて』朝文社、1991年4月20日 1991、328頁。 
  24. ^ "故遠藤周作氏の妻、遠藤順子さん死去 文学館建設に尽力". 長崎新聞. 2021年3月12日. 2023年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧
  25. ^ 「高卒社長が誕生の可能性も!?」フジテレビ“次期社長レース”の行方、日刊サイゾー、2012年6月11日
  26. ^ フジテレビ社長に遠藤周作氏長男 「騒動」時に広報部長 2019年5月13日20時17分 - 『朝日新聞
  27. ^ フジ新社長の遠藤龍之介氏「高卒社長誕生」デマ語る [2019年5月14日5時1分] - 『日刊スポーツ
  28. ^ 「フジは「面白さ」を追求 遠藤龍之介社長に聞く」『読売新聞東京』、2019年9月9日、夕刊。
  29. ^ 過去の教科書 - 教育出版”. www.kyoiku-shuppan.co.jp. 2024年1月13日閲覧。
  30. ^ 過去の教科書 昭和52年度版”. 教育出版. 2022年11月30日閲覧。
  31. ^ 国立国会図書館. “所蔵調査 教科書に載った遠藤周作著「白い風船」について”. レファレンス協同データベース. 2022年11月30日閲覧。
  32. ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、245 - 246頁。NDLJP:12025175/127 
  33. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第128号、マドラ出版、1990年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:1853094/55 
  34. ^ "遠藤周作 封印された原稿". NHK. 2021年10月9日. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月15日閲覧
  35. ^ "遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 「前編 日本人のキリスト教を求めて」". NHK. 2021年10月31日. 2021年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月28日閲覧
  36. ^ "遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 「後編 宗教の壁を越える"玉ねぎ"」". NHK. 2021年11月7日. 2021年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月5日閲覧
  37. ^ 遠藤周作の未発表作見つかる(2010年4月25日(日)掲載) - Yahoo!ニュース”. Yahoo Japan Corporation.. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月15日閲覧。
  38. ^ 遠藤周作さん未発表小説発見 長崎の文学館 完成状態では初”. 西日本新聞ニュース. 2020年10月1日閲覧。
  39. ^ 川崎友理子 (2020). “遠藤周作未発表小説「影に対して」について”. 三田文学 夏季号: 50. 
  40. ^ 遠藤周作 『影に対して―母をめぐる物語―』 | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2020年11月14日閲覧。
  41. ^ 作品情報 - 黄金の国”. 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター. 2019年3月15日閲覧。






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