絹と明察 絹と明察の概要

絹と明察

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 14:11 UTC 版)

絹と明察
訳題 Silk and Insight
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出群像1964年1月号-10月号
刊本情報
出版元 講談社
出版年月日 1964年10月15日
総ページ数 299
受賞
1964年度・第6回毎日芸術賞文学部門賞
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近江絹糸の労働争議を題材に創作された作品で、昭和39年度・第6回毎日芸術賞の文学部門賞を受賞した[3][4]

古い日本的家族意識の家父長経営で業績を伸ばす紡績会社社長が、「子」である従業員たちから労働争議を起こされ滅びてゆく物語。「日本」および「日本人」「父親」というテーマを背景に、近代主義的な輸入思想の〈明察〉の男と、日本主義の〈〉の男との二重構造の対比や交錯が描かれている[5][6][7]

作品背景・主題

三島由紀夫は『絹と明察』の執筆動機について以下のように述べつつ、「ぼくにとつて、最近五、六年の総決算をなす作品」と位置づけている[5]

書きたかつたのは、日本及び日本人といふものと、父親の問題なんです。二十代には、当然のことだが、父親といふものには否定的でした。「金閣寺」まではさうでしたね。しかし結婚してからは、肯定的に扱はずにはゐられなくなつた。この数年の作品は、すべて父親といふテーマ、つまり男性権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描かうとしたものです。「喜びの琴」も「」も、「午後の曳航」もさうだつた。 — 三島由紀夫「著者と一時間(『絹と明察』)」[5]

そしてそれを追求するうちに、「企業の中の父親、家父長的な経営者」にぶつかったとし、「批判者」が「父親に対する息子」だけでは足りないと考え、〈岡野〉という「人間の善意の底の」をよく知り、ドイツ哲学を学び「破壊哲学をつくつたつもりの男」、「日本の土壌には根を下してゐない知識人の輸入思想の代表」を設定したとし、以下のように説明している[5]

岡野は駒沢の中に破壊すべきものを発見する。そして駒沢のによつて決定的に勝つわけですが、ある意味では負けるのです。“”(日本的なもの)の代表である駒沢が最後に“明察”の中で死ぬのに、岡野は逆にじめじめした絹的なものにひかれ、ここにドンデン返しが起こるわけです。 — 三島由紀夫「著者と一時間(『絹と明察』)」[5]

『絹と明察』の題材は、1954年(昭和29年)6月に起きた「近江絹糸の労働争議」から取ったもので、三島は1963年(昭和38年)8月30日から9月6日まで、滋賀県彦根市近江八景を取材してから、10月26日に起稿し、翌年1964年(昭和39年)8月13日に脱稿している[3][4]

あらすじ

55歳の駒沢善次郎は近江の駒沢紡績の社長であった。人情と熱血のかたまりのような駒沢は日本的家族意識を掲げながら、古く泥臭い会社経営によって業績を伸ばし、他社のいわゆる近代的な大手紡績会社に迫る急成長を遂げていた。駒沢社長は工員たちの労働条件だけでなく、彼らの郵便物もチェックするなど私生活にも土足で介入して、同族的心情にどっぷり浸かった徹底的な管理体質で労働強化をもたらしていた。駒沢の意識の中には公明正大な善意しかなく、人の良さと包容力とが自然な形でワンマン経営を形成し、自分が工員たちの父親のように感じていた。

駒沢紡績に凌駕されつつある近代的アメリカ流の経営に専念してきた他社の経営者たちは、その駒沢の破天荒な楽天性を切り崩そうと、業界の内情に通じながら浪人し、政界財界の闇に通じている岡野を使って、駒沢紡績に労働争議を起させようとする。岡野はハイデッカー思想に傾倒し、ヘルダーリンの詩を愛唱する人物だった。彼は知り合いの40歳の芸者・菊乃を駒沢に近づけ、寮母となった菊乃から工場の様子を聞き出し、糸口を探った。

やがて岡野は、工員同士で恋人となっていた若者・大槻と弘子と知り合い、徐々に大槻を巧みに誘導し、若い工員たちに労働争議を起させることに成功する。銀行新聞マスコミにも岡野は圧力を加え、追い風を受けた工員たちは勝利を収め、駒沢紡績に漲っていた駒沢善次郎的な体質は、「封建制」、「偽善」として葬られることとなった。そして会社を追われると共に、駒沢自身も脳血栓で倒れて入院する。

工員たちの労働争議に誰よりも衝撃を受けた駒沢だったが、彼は死の間際も家族的心情から、仇をした者たちをもゆるし、金戒光明寺の暁鐘を聴きながら、「四海みな我子やさかいに」という心境にたどり着く。そして駒沢の死の後、岡野は駒沢の椅子に座れる立場となるが、しだいに軽蔑していたはずの駒沢の人間性に惹かれていた自分に気づき、自分の周囲の風景にも偏在する「駒沢の死」を感じ脅かされる。岡野は自分の得る利得はただ永久に退屈な利得につらなる予感がし、「自分が征服したものに忽ち擦り抜けられる無気味な円滑さしかない」と思った。


  1. ^ 井上隆史「作品目録――昭和39年」(42巻 2005, pp. 433–437)
  2. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  3. ^ a b 「解題――絹と明察」(10巻 2001
  4. ^ a b c d e 杉本和弘「絹と明察」(事典 2000, pp. 83–86)
  5. ^ a b c d e 「著者と一時間(『絹と明察』)」(朝日新聞 1964年11月23日号)。33巻 2003, pp. 213–214に所収
  6. ^ a b 杉本 1994
  7. ^ a b 佐渡谷重信「絹と明察」(旧事典 1976, pp. 110–111)
  8. ^ a b c d 磯田光一「時評(文芸) 家父長倫理の挫折――『絹と明察』について」(図書新聞 1964年9月26日号)。事典 2000, p. 84、『磯田光一著作集1』(小沢書店、1990年)、磯田 1979, pp. 98–105に所収
  9. ^ 村松剛「文芸月評・戦後の知識人とは何か」( 1964年11月号)。事典 2000, p. 84
  10. ^ 奥野健男「読書・愚かな人物を芸術的に浮彫り」(東京新聞夕刊 1964年11月4日号)。事典 2000, p. 84
  11. ^ 村松剛「“日本主義”と取り組む」(サンデー毎日 1964年11月29日号)。事典 2000, p. 84
  12. ^ 伊藤整「現代に生きる“古い心”」(毎日新聞 1965年1月1日号)。事典 2000, p. 84
  13. ^ 小田切秀雄・本多秋五・寺田透「創作合評」(群像 1964年11月号)。事典 2000, p. 84
  14. ^ 小田切秀雄「批評におけるリアリズム―『絹と明察』をめぐる浪漫派の批評について」(文學 1964年12月号)。事典 2000, pp. 84–85
  15. ^ 高橋和巳「描破された資本家像」(日本読書新聞 1964年11月16日号)。事典 2000, p. 84
  16. ^ 山本健吉「“現代の英雄”を描く」(週刊読書人 1964年11月30日号)。事典 2000, p. 84
  17. ^ 佐伯彰一「ユニークな人物創造」(読売新聞夕刊 1964年12月3日号)。事典 2000, p. 84
  18. ^ 森川達也「人間の愚劣への挑戦」(図書新聞 1964年11月29日号)。事典 2000, p. 84
  19. ^ a b 「第八章 永劫回帰と輪廻――『宴のあと』その他――」(野口 1968, pp. 193–220)
  20. ^ 林房雄論」(新潮 1963年2月号)。『林房雄論』(新潮社、1963年8月)。『作家論』(中央公論社、1970年)。作家論 1974, pp. 123–131、32巻 2003, pp. 337–402に所収
  21. ^ 「III 死の栄光――『父』殺しと『父』の発見」(村松 1990, pp. 325–347)
  22. ^ a b 奥野 2000(1993年2月のハードカバー版に記載)。論集I 2001, pp. 261–262、柴田 2012, p. 131に抜粋掲載
  23. ^ a b 田中美代子「解説」(文庫 1987, pp. 306–312)
  24. ^ a b 「第十回 神への裏階段」(徹 2010, pp. 132–144)
  25. ^ a b c d e 竹松良明「『絹と明察』論―天皇制にかかわる形象化をめぐって」(論集I 2001, pp. 261–271)
  26. ^ a b c d 「第四章 不在の家長たち――『鏡子の家』と〈天皇〉の表象」(柴田 2012, pp. 99–132)
  27. ^ ドナルド・キーンへの書簡」(昭和39年10月29日付)。ドナルド書簡 2001, pp. 134–136、38巻 2004, pp. 408–409


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