相川七瀬 略歴

相川七瀬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 07:44 UTC 版)

略歴

中学1年生の時に「中学3年生まで(歌手になる)オーディションを受けさせて」と母に頼み込み、最後の挑戦とした1990年平成2年)に中学3年生(15歳の頃)でCBS・ソニーグループ主催のオーディションを受ける[注 1] が結果は不合格。芸能界入りを諦め大阪府立北淀高等学校に進学するが[9] 約1年後、オーディション審査員の織田哲郎(後のプロデューサー)から直接電話を受ける[10]

その際、相川の中で芸能界入りを諦めていたとして一度は断るが、この時に織田から自宅の電話番号を伝えられ、約1年後に改めて織田に連絡[10]、高校中退[11] の後、上京。歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。芸名「相川七瀬」はプロデューサーである織田哲郎が命名した[12]

プロデューサーの織田は当初、契約をしていたビーイングでデビューされることを考えていたが、ビーイングから相川を自レーベルでデビューさせる気はないと言われ、ビーイングに他社でデビューさせることの了承を得て[13]、エイベックスのmotorodレーベルに所属するになった[注 2][14]1995年11月、織田のプロデュースによるシングル『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビュー。相川をトータルプロデュースするにあたり、織田はそれまでの「前向きなガール・ポップ」に対して「前向きじゃないダークなロック」を全面に打ち出した。

1996年7月、ファーストアルバム『Red』リリース。オリコンのアルバムチャート初登場1位、現在までに245万枚を超すダブル・ミリオン大ヒットを記録。同年10月発売の5thシングル『恋心』はミリオンセラーを記録し、自身最大のヒット曲となり年末に「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場。「夢見る少女じゃいられない」を披露。

1997年、7月に2作目のアルバム『paradox』発売、オリコン初登場1位獲得、現在までに143万枚を売上。自身初の全国コンサートツアー“Live Emotion '97” 20公演を敢行、チケットは発売後1時間でソールドアウト、6万5千人を動員。最終の9月9日・10日は日本武道館で公演。デビューからわずか1年10か月での日本武道館ライブであった。同年も紅白出場が有力視されたが、アルバムジャケットの海外撮影と日程が重なったことから見送られた。

1998年、7月に3作目のアルバム『crimson』(オリコン初登場1位)を発表後、全国で40公演の“Live Emotion '98 crimson”コンサートを敢行。10月、最終の大阪城ホール公演が終わって間もなく髪の毛をばっさりと切り、一人で約2か月、ドイツに旅行。

1999年、トレードマークだった赤いロングヘアーを金髪のショートヘアに変え[注 3]、“第2期相川七瀬”と銘打ちベスト・アルバム『ID』をリリース。同アルバムは第12回日本ゴールドディスク大賞「ベスト・ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞。4作目のアルバム『FOXTROT』を制作中、年末年始にかけて雑誌取材のためカナダ渡航。

2000年プロデューサー布袋寅泰に迎え、それまでとは異なる曲調のロックを歌う。2月から5月にかけ全国ツアーライブ“Live Emotion 2000 "FOXTROT"”(32公演、ラストは沖縄)。8月12日には台北市西門町で予告無しのゲリラライブを敢行、雨天にもかかわらず3000人を集めた(MTVのイベントに参加した際のエピソード)。

2001年、シングル2枚同時発売。2月に一般男性と結婚[15]。その後もスタジオ作業は継続し、出産直前まで制作に携わり、各方面で活躍するミュージシャンとのコラボレーションによる初のバラードミニアルバム『The Last Quarter』発表。9月6日[16]、第一子となる男児を出産[15]。また音楽活動以外に、2002年7月に小学館より絵本「ぼくはくじら」を発表。12月に絵本の第二弾『くじらサンタ』を発表。

2003年、デビュー以来共にしてきた織田のプロデュースを離れ、新たに岡野ハジメをプロデュースに迎える。出産後、約2年ぶりのライブハウスツアー「THE GIG '03 LIVE IT NOW」により全国のファンに向け「相川七瀬"完全復活"」を印象付けた。12月31日に、ナガシマスパーランドにて初のカウントダウンライブを行なう。この頃、前世療法で自身が深く癒されたことをきっかけに、独学でセラピーに関する勉強をして、11月にはイギリスの団体からカラーセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を当時最年少で取得。翌年には、セラピーや占星術に関連する学校を設立するなど、多方面に進出。

2004年2月に、2年半ぶりのアルバム『7 seven』をリリース。同月22日にNHKホールで行なわれた「日中友好歌謡祭」に出演、「愛ノ詩 -マジェンタレイン-」を歌う様子が中国でも実況された。3月にはカラーセラピー本「恋のダイス&ルーレット」と不思議体験を綴った「バリコワ」を出版。5月8日から、約4年ぶりのとなる全国ホールツアー「Live Emotion "7 seven"」を、7月から毎年恒例のライブTOUR AIKAWA NANASE "7 seven" THE GIG '04を行う。7月には、イギリスやアイルランドでジェニファー・エリソン(Jennifer Ellison)による相川の「バイバイ」をカバーした“Bye Bye Boy”がヒット。イギリスのチャートでは13位となった。9月にはライブDVD『Live Emotion 2004 SEVEN』をリリース。11月8日にデビュー10年目を迎える。12月31日は長崎ハウステンボスにて、2回目のカウントダウンライブを行なう。

2005年、2月に自らプロデュースしたアルバム『THE FIRST QUARTER』発表。フュージョン系のマイルドなサウンドが中心。テレビドラマ『87%』にレギュラー出演(初のドラマ出演)。この年から「七瀬の日」と題し7月7日SHIBUYA-AXライブを毎年開催。サポートメンバーにはPATA真矢D.I.E.CRAZY COOL JOEマーティ・フリードマンらが参加。11月11日に韓国釜山で第2回アジア・ソング・フェスティバルに出演。アルバム『R.U.O.K?!』は韓国、香港でも発売された。年末には、翌年から全国展開する洋服ブランド「VAL VALENZA」の春夏イメージキャラクターを委嘱され、ファッション誌の広告、各店舗で1日店長を務めた。この年から年末ライブをキリスト品川教会グローリアチャペルで行う。

2006年、1月1日にライブアルバム『7.7.7.』(DVDとCD2枚の3枚組)発売。6月にはシンガポールで第20回“Singapore Arts Festival”に出演、7月に台湾で“Formoz Festival 2006”に出演などアジア地域でも活動を行う。

2007年、妊娠9か月の時期もライブを普通に敢行、後で助産師に叱られた。9月9日、自宅出産で無事に第2子となる男児を出産[17][18]。この頃から音楽雑誌の他に、主婦・子育てをする母親を対象とする育児雑誌にも活動の場を広げ、インタビューが掲載されるようになる。

2008年5月、2年ぶりの新曲「PRISM」が限定配信リリースされた。

2009年2月、4年ぶりのアルバム『REBORN』をリリース。その後、自身初のクラブ・ツアー「AIKAWA NANASE CLUB TOUR '09 REBORN -STYLE-」を2月16日から3月3日まで、全国7か所で行なう。8月25日、パチンコ台「CR相川七瀬〜時空の翼〜(藤商事)」が発表。9月に小説「ダリア」(書籍)発売。11月、久々に織田提供作品のシングル『tAttoo』発売。

2010年、2月16日に渋谷の「duo music exchange」にてバースデイライブを行なう。同日にデビュー15周年ベスト・アルバム『ROCK or DIE』を発売。9月29日、アルバム『稲垣潤一 / 男と女3-TWO HEARTS TWO VOICES-』でデュエット「愛がとまらない」を発表。11月3日にライブDVD『AIKAWA NANASE Live Emotion 999』をリリース。12月8日にガールズバンド「Rockstar Steady」としてDVDシングル「Fine Fine Day」を発売。

2010年、2月16日に昨年同様、渋谷の「duo music exchange」にてバースデイライブを行なった。同日、「Rockstar Steady」としてアルバム『Gossip』を発売。

2012年9月18日、難産ながらも第3子となる女児を出産[15]

2013年2月16日、ソロとして4年ぶりのオリジナル・アルバム『今事記』をリリース[19]

2015年、1月13日、茨城県鹿嶋市「かしま大使」に就任した。夫が県内出身ということもあり、20代後半からこれまでに30回以上、鹿島神宮を訪れている[20]。11月8日、EX THEATER ROPPONGIで「NANASE AIKAWA 20th Anniversary GIG」を豪華なゲスト(浅岡雄也工藤静香中村あゆみ杏子寺田恵子藍井エイル、他)を多数迎え開催した。

2016年、留学していた長男が日本の高卒認定を取得することとなり、自分も高卒認定試験を受けるための受験勉強を開始した。同時に、國學院大學の科目履修生となった[21]

2018年、43歳を迎え、約2年の猛勉強の末に高卒認定試験に合格[22]。5月3日、自由が丘スイーツフェスタ2018に出演し、ライブを行うとともに任命式にて「自由が丘アンバサダー」、および「自由が丘スイーツ大使」に就任した[23]

2019年、5月15日、横浜DeNAベイスターズ対中日ドラゴンズ戦で自身初となる始球式に臨んだ。ベイファンになったのは息子の小学校の友達がベイファンで横浜スタジアムに連れて行ったのがきっかけである[24]

デビュー25周年を迎えた2020年、祖父が地元の神社の熱心な氏子であった影響で、幼少期より民俗学的事象に関心を持っていたこと、祭りを通じ「地域活性に携りたい」思いから以前から科目履修生として通学していた國學院大學神道文化学部を改めて受験し合格[6][7][25]。大学入学直後にコロナによる緊急事態宣言が出て、授業はすべてオンラインとなる。9月28日、Nusing Now公式ソングとして、つんく♂プロデュースによる新曲「元気の歌」を配信リリースした[26][27]

2021年、大学の対面授業が再開し、キャンパスに通学できるようになる。7月28日、25周年を記念して、ハローキティーと愛猫チャッピーのコラボレーションが実現しグッズをお披露目した[28]。11月7日、25th Anniversary Final Party 〜ROCK NEVERLAND〜 にて25年間を彩った楽曲を提供してきたギタリストとして織田哲郎、布袋寅泰、柴崎浩室姫深をゲストに迎えて共演。布袋とはステージ初共演であった[29]

2023年、大学4年生となり、お神輿サークルに入部した[30]。11月8日には、カバーアルバム『ROCK MONSTER』を発売。アルバムのリードトラックである「POISON」(布袋寅泰のカバー)のミュージック・ビデオも制作され、自身のYouTubeチャンネルで公開された[31]。また発売当日には、デビュー & アルバムリリースダブル記念ライブ「LIVE ROCK MONSTER」を東京・ニューピアホールにて開催。アルバム収録曲や自身の代表曲を披露し、アンコールでは息子のRIOがドラムとして参加した[32]

2023年12月26日、國學院大學大学院への進学と「一般社団法人Culture Plus」の設立を発表[8]

2024年3月21日、新高輪プリンスホテル飛天の間での卒業式典(さだまさしも客員教授として参加し歌唱)において、國學院大學を第132期卒業生総代(数名のうちの一人。併せて「成績優秀者」など2つの個人表彰も受賞)として卒業した。卒業式典後の卒業証書授与式では卒業生答辞も読んだ[33][34][35]


注釈

  1. ^ この時、審査で歌った曲は、工藤静香の「嵐の素顔」。
  2. ^ ビーイングとつながりの深い織田哲郎のプロデュースによる楽曲が多いことや、初期の一部の曲でビーイングのエンジニアを起用したりビーイングのスタジオを利用しているために誤解されやすいが、ビーイングの所属ではない。なお、相川の初代マネージャーはビーイングの社員であった。
  3. ^ イギリスで撮影した写真が『Jealousy』のジャケットに反映されている。
  4. ^ アン・ルイスの同名曲のカバー。
  5. ^ バラード・ミニ・アルバム。
  6. ^ 番組開始日は2011年7月25日だが、相川が出演したのは第2回から。

出典

  1. ^ a b c “相川七瀬 「阪急・相川駅」由来説否定”. DAILY SPORTS ONLINE. (2015年12月5日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/05/0008623354.shtml 2015年12月6日閲覧。 
  2. ^ Eremenko, Alexey. Aikawa Nanase Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年11月28日閲覧。
  3. ^ Miller, Laura (2006). Beauty Up: Exploring Contemporary Japanese Body Aesthetics. University of California Press. p. 46. ISBN 978-0-520-24509-9 
  4. ^ 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、4頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  5. ^ 相川七瀬”. Zaiko. 2022年11月30日閲覧。
  6. ^ a b 相川七瀬、春から大学生に 高卒認定経て45歳で合格”. ORICON NEWS. 2020年3月13日閲覧。
  7. ^ a b 【写真特集】相川七瀬が東都大学野球で始球式 名前にちなみ背番号「7」山なりのボール投げ込む”. 日刊スポーツ (2022年4月20日). 2022年4月20日閲覧。
  8. ^ a b “48歳の大学4年生・相川七瀬、春から大学院へ メガネ姿で民俗学に没頭する“夢見る少女”にファン感嘆”. ORICON NEWS (oricon ME). (2023年12月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2308331/full/ 2023年12月26日閲覧。 
  9. ^ 開校式・入学式 - 淀川清流ブログ”. www2.osaka-c.ed.jp. 2021年3月11日閲覧。
  10. ^ a b 相川七瀬、ブレーク後の印税に驚き「数えられない桁の数のお金が」 21歳で“ビッグな買い物””. スポーツニッポン (2019年7月8日). 2019年7月9日閲覧。
  11. ^ “歌手 相川七瀬さん:中日新聞Web” (日本語). 中日新聞. (2021年2月21日). https://www.chunichi.co.jp/article/205688 2021年3月11日閲覧。 
  12. ^ 織田哲郎ロングインタビュー第17回
  13. ^ “ニコリともせず…オーディションの審査員をにらみつけていた相川七瀬”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2019-12-29//02). https://www.zakzak.co.jp/article/20191202-DQBYZTI4PZLF3OES2PDNPGQXDA/ 2023年2月18日閲覧。 
  14. ^ ザ・対談 柴崎浩(WANDS)×相川七瀬
  15. ^ a b c 相川七瀬、第3子女児を出産「難産だった」”. サンケイスポーツ (2012年9月18日). 2013年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月7日閲覧。
  16. ^ 相川七瀬、19歳長男との2ショット公開「そっくりですね!」「イケメン!!!」”. eltha(エルザ) (2020年9月7日). 2021年6月7日閲覧。
  17. ^ 相川七瀬、第2子誕生で「奮闘します!」”. eltha (2007年9月11日). 2013年7月19日閲覧。
  18. ^ 相川七瀬、第2子出産復帰後初の新曲発売”. ORICON STYLE (2008年5月23日). 2013年7月19日閲覧。
  19. ^ “相川七瀬、自分の“ことのは”で紡いだ新アルバム「今事記」”. ナタリー. (2013年1月10日). https://natalie.mu/music/news/82935 2013年7月19日閲覧。 
  20. ^ 茨城)相川七瀬さん「かしま大使」に 夫が県出身:朝日新聞デジタル”. archive.md (2016年1月13日). 2021年11月17日閲覧。
  21. ^ 相川七瀬、高卒認定試験を経て40代で大学入学、4月から大学院へ 子供たちに「大人になってもずっと勉強ってするんだね」と思ってもらえた喜び”. 女性セブン. 2024年3月25日閲覧。
  22. ^ 坂上忍、相川七瀬の大学進学理由に反発!?”. RBB TODAY. 2021年4月21日閲覧。
  23. ^ 相川七瀬が自由が丘アンバサダーに就任「次世代の自由が丘を担いたい」”. TOKYO HEADLINE (2018年5月3日). 2021年11月12日閲覧。
  24. ^ DeNAファン・相川七瀬(歌手)「ハマスタで応援できる日が楽しみ」/著名人ファンからメッセージ | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年11月12日閲覧。
  25. ^ 『まほろば:神社広報』第60号、神社本庁、2022年4月、p.02
  26. ^ 相川七瀬、つんく♂から直接DM来てびっくり仰天「本当のつんく♂さん?」”. ENCOUNT. 2021年11月12日閲覧。
  27. ^ 相川七瀬、高卒認定試験を経て40代で大学入学、4月から大学院へ 子供たちに「大人になってもずっと勉強ってするんだね」と思ってもらえた喜び”. 女性セブン. 2024年3月25日閲覧。
  28. ^ PERFECT. “ハローキティーと七瀬さんの愛猫チャッピー コラボレーショングッズ販売情報”. 相川七瀬オフィシャルファンクラブ「Dahlia」. 2021年11月12日閲覧。
  29. ^ 相川七瀬、25周年アニバーサリーイヤーを完走。織田哲郎、布袋寅泰らも祝福”. BARKS. 2021年11月9日閲覧。
  30. ^ 相川七瀬、高卒認定試験を経て40代で大学入学、4月から大学院へ 子供たちに「大人になってもずっと勉強ってするんだね」と思ってもらえた喜び”. 女性セブン. 2024年3月25日閲覧。
  31. ^ 相川七瀬、布袋寅泰「POISON」をカバー”. BARKS (2023年11月1日). 2023年11月10日閲覧。
  32. ^ 相川七瀬、デビュー&アルバムリリースW記念ライブ。X JAPANやイエモンのカバーも披露”. BARKS (2023年11月9日). 2023年11月10日閲覧。
  33. ^ 49歳・相川七瀬、国学院大で卒業生総代に選出…超大物有名人もサプライズで登場「びっくりしました」”. スポーツ報知 (2024年3月21日). 2024年3月21日閲覧。
  34. ^ さだまさし 客員教授務める国学院大の卒業式にサプライズ登場 卒業生の相川七瀬にエールも”. スポニチアネックス (2024年3月21日). 2024年3月21日閲覧。
  35. ^ 相川七瀬 成績優秀者で国学院大卒業「4年間やりきった証」”. スポニチアネックス (2024年3月21日). 2024年3月21日閲覧。
  36. ^ “相川七瀬さん「かしま大使」に 夫が県出身”. 朝日新聞DIGITAL. (2015年1月14日). オリジナルの2016年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/HrUXw 2017年10月26日閲覧。 
  37. ^ 3児のママ・相川七瀬 第2の地元・自由が丘での“甘~い私生活”(2018年5月4日)、東スポWeb
  38. ^ 相川七瀬「知っている人が前から…」両国国技館で遭遇した人物にビックリ「凄い縁だなと思った」”. スポーツニッポン (2023年5月30日). 2023年5月31日閲覧。
  39. ^ 清水更沙 (2023年8月1日). “歌手の相川七瀬さん、伝統の赤米神事「残したい」 泥まみれで継承に奔走”. 産経ニュース. 2024年4月18日閲覧。
  40. ^ 相川七瀬さんら総社の赤米PR 17日、備中国分寺でコンサート:山陽新聞デジタル|さんデジ”. 山陽新聞デジタル|さんデジ. 2024年4月18日閲覧。
  41. ^ 相川 七瀬さん|メンバー紹介|高野山・熊野を愛する100人の会”. koyasan-kumano100.jp. 2024年4月18日閲覧。
  42. ^ 歌手の相川七瀬さんも出席、「赤米サミット」で熱い議論…種の保存へ新組織”. 読売新聞オンライン (2023年11月10日). 2024年4月18日閲覧。
  43. ^ a b 歌手・相川七瀬さん、長崎県対馬市の文化発信「フェロー」就任…「人生を変えた」赤米の美しさ”. 読売新聞オンライン (2024年4月18日). 2024年4月18日閲覧。
  44. ^ 相川七瀬、25周年記念リミックスEP発売。MVやアートトラックも公開”. BARKS. 2023年1月30日閲覧。
  45. ^ 全ナンバー織田哲郎作曲!相川七瀬カバー集、つるの剛士や大黒摩季ら参加”. 音楽ナタリー (2015年10月28日). 2015年10月28日閲覧。
  46. ^ SHOW-YAの30周年アルバムに安室奈美恵、秋元康ら参加”. 音楽ナタリー (2015年8月28日). 2015年8月28日閲覧。
  47. ^ 中村あゆみ×相川七瀬ユニットが山口百恵やブギウギ・バンド名曲カバー”. 音楽ナタリー. 2023年1月30日閲覧。
  48. ^ a b 相川七瀬、つんく♂との初コラボで新曲「元気の歌」を配信リリース”. BARKS. 2023年1月30日閲覧。
  49. ^ 2018年 ダイアナCM「なりたいわたし」”. ダイアナYouTube公式チャンネル. 2018年4月21日閲覧。
  50. ^ 相川七瀬さん出演、ダイアナのテレビCMが9月19日より全国で放映開始』(プレスリリース)2020年9月18日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000236.000012046.html2020年9月23日閲覧 
  51. ^ ニコニコインフォ (2011年8月8日). “「西川貴教のイエノミ!!」相川七瀬、SEAMOが登場!”. ニワンゴ. 2011年9月25日閲覧。
  52. ^ 藤商事が「CR相川七瀬~時空の翼」を発表”. 遊戯通信web (2009年8月28日). 2014年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月16日閲覧。






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