桐野夏生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 00:51 UTC 版)
誕生 |
橋岡 まり子 1951年10月7日(72歳) 石川県金沢市 |
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職業 | 小説家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 成蹊大学法学部 |
活動期間 | 1984年 - |
ジャンル | 小説 |
代表作 |
『顔に降りかかる雨』(1993年) 『OUT』(1997年) 『柔らかな頬』(1999年) 『東京島』(2008年) 『ナニカアル』(2010年) 『燕は戻ってこない』(2022年) |
主な受賞歴 |
江戸川乱歩賞(1993年) 日本推理作家協会賞(1998年) 直木三十五賞(1999年) 泉鏡花文学賞(2003年) 柴田錬三郎賞(2004年) 婦人公論文芸賞(2005年) 谷崎潤一郎賞(2008年) 紫式部文学賞(2009年) 島清恋愛文学賞(2010年) 読売文学賞(2011年) 紫綬褒章(2015年) 早稲田大学坪内逍遙大賞(2021年) 毎日芸術賞(2023年) 吉川英治文学賞(2023年) 日本芸術院賞(2024年) |
デビュー作 | 『愛のゆくえ』(1984年) |
ウィキポータル 文学 |
妊娠中に友人に誘われ、ロマンス小説を書いて応募し佳作当選。以後、小説を書くのが面白くなって書き続けたという。ミステリー小説第一作として応募した『顔に降りかかる雨』で第39回江戸川乱歩賞を受賞。ハードボイルドを得意とし、新宿歌舞伎町を舞台にした女性探偵、村野ミロのシリーズで独自の境地を開く。また、『OUT』では平凡なパート主婦の仲間が犯罪にのめりこんでいくプロセスを克明に描いて評判を呼び、日本での出版7年後に米国エドガー賞にノミネートされ、国際的にも評価が高い。代表作に『顔に降りかかる雨』(1993年)、『OUT』(1997年)、『柔らかな頬』(1999年)、『グロテスク』(2003年)、『東京島』(2008年)など。2015年に紫綬褒章を受章[1][2]。2021年5月25日より日本ペンクラブ第18代会長に選出され、女性初の会長となった[3][4]。
プロフィール
1951年、金沢市に生まれる。建設会社でエンジニアをしていた父をもち、両親と兄、弟のリベラルな家庭に育つ。父の転勤が多く、3歳で金沢を離れ、仙台、札幌、さらに中学校2年生で東京都武蔵野市へと引っ越しを重ねた。武蔵野市立第四中学校、桐朋女子高等学校(東京都調布市)から、成蹊大学法学部へと進学。卒業後はオイルショックの時代で就職先があまりなく、映画館に勤め、のち広告代理店で医者向け雑誌の編集に従事。いずれも1、2年で退社して24歳で結婚。
仕事は結婚後も続けていたが、しばらく仕事をやめたこともあった。脚本家の向田邦子のファンだったこともあって、経済的自立を求め、シナリオ学校(日本脚本家連盟ライターズスクール)に通ったりアルバイトをしたりするようになる。子どもが生まれたため、家でできる仕事として、マニュアルの文章を書くフリーライターとして活動する。1984年、30歳代の始めに第2回サンリオロマンス賞に応募した『愛のゆくえ』が佳作入選し、小説家としてデビュー。ロマンス文学やジュニア小説、森園みるくのマンガの原作などを手がけるようになった。
1993年に、日本における女性ハードボイルドの先駆けになったとされる第39回江戸川乱歩賞受賞作『顔に降りかかる雨』で本格デビューを果たし、出版業界用語でいわれる「万年初版作家」の域を脱出。ミステリーの発注が続いて多忙になったため、10年間続いた森園みるくとのレディースコミックの共作は、途絶となってしまった。しばらくスランプ状態が続いたが、新宿歌舞伎町で活躍する女性探偵「村野ミロ」シリーズを掘り下げ、独自の境地を切り開いたり、女子プロレスを舞台にした『ファイヤーボール・ブルース』で読者層を広げていく。1998年の日本推理作家協会賞受賞作『OUT』が小説家としてブレイクスルーとなる作品となった。
ペンネーム
ペンネーム「桐野夏生」は、司馬遼太郎の小説『翔ぶが如く』の桐野利秋、大庭みな子の『浦島草』の夏生という女性の名前から取った名前で1984年のロマンス小説デビュー作から使っているが、男性と混同する名前は困ると言われ「桐野夏子」というペンネームを使った時期があった。また、作家・銀色夏生がいるから夏生はやめて欲しいと言われて使ったペンネーム「野原野枝実」は、森茉莉の『甘い蜜の部屋』の登場人物の名前から拝借したものである。これらの別ペンネームに関して桐野自身は「屈辱の歴史」と述懐している [要出典]。
エピソード
影響を受けたモノ
文学
- 林芙美子自伝的小説『放浪記』を「たいせつな本」に挙げ[6]、「若い人にぜひ読んでもらいたい」と薦めている[6]。「近代の女性が孤独な思いで生きていく姿を林芙美子は最初に書きました。今も色褪せないし、私のテーマにも通じます」と同じ小説家としての敬意を込め[7]、2010年に林の評伝小説『ナニカアル』を上梓している[6][7][8]。
映画
- 暴力映画の名匠でスローモーション演出で知られる、サム・ペキンパー作品ではガルシアの首のファンであり、同作のファンである崔洋一と、ペキンパー没後20年の1994年に行われた同作の再上映記念のオールナイト上映で崔とトークショーを行った[9]。
受賞・候補歴
- 1984年 - 『愛のゆくえ』が第2回サンリオロマンス賞佳作となりデビュー。
- 1993年 - 『顔に降りかかる雨』で第39回江戸川乱歩賞を受賞。
- 1998年 - 『OUT』で第51回日本推理作家協会賞を受賞。
- 1999年 - 『柔らかな頬』で第121回直木三十五賞を受賞。
- 2003年 - 『グロテスク』で第31回泉鏡花文学賞を受賞。
- 2004年 - 『OUT』がエドガー賞最優秀作品賞にノミネート(最終候補)。
- 2004年 - 『残虐記』で第17回柴田錬三郎賞を受賞。
- 2005年 - 『魂萌え!』で第5回婦人公論文芸賞を受賞。
- 2008年 - 『東京島』で第44回谷崎潤一郎賞を受賞。
- 2009年 - 『女神記』で第19回紫式部文学賞を受賞。
- 2010年 - 『ナニカアル』で第17回島清恋愛文学賞を受賞。
- 2011年 - 『ナニカアル』で第62回読売文学賞を受賞。
- 2015年 - 紫綬褒章を受章[2]。
- 2021年 - 第8回早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞[10]。
- 2023年 - 『燕は戻ってこない』で第64回毎日芸術賞を受賞[11]。
- 2023年 - 『燕は戻ってこない』で第57回吉川英治文学賞を受賞。
- 2024年 - 第80回日本芸術院賞を受賞。
- ^ “志の輔さんや桐野夏生さんら、紫綬褒章に12人”. YOMIURI ONLINE. (2015年11月2日). オリジナルの2015年11月4日時点におけるアーカイブ。 2016年9月6日閲覧。
- ^ a b “【紫綬褒章】作家・桐野夏生さん(64)”. 産経ニュース. (2015年11月2日) 2015年11月2日閲覧。
- ^ “日本ペンクラブ第18代会長に桐野夏生氏 就任のご挨拶 – 日本ペンクラブ”. japanpen.or.jp. 2021年5月25日閲覧。
- ^ “日本ペンクラブ会長に作家の桐野夏生さん…女性会長は初めて : エンタメ・文化 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年5月25日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ 『週刊現代』2010年4月3日号127頁
- ^ a b c “【読書】 〔大切な本〕 桐野夏生(作家) ●林芙美子『放浪記』 最底辺でも意気軒昂 ほの見える冷徹な目”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 17. (2008年6月15日)
- ^ a b 棚部秀行 (2010年3月14日). “【今週の本棚】 ナニカアル 著者 桐野夏生さん 林芙美子の秘めた恋”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 11
- ^ 「「放浪記」 林芙美子と緑敏、岡野軍一―広島・尾道/東京・中井」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社。2024年4月6日閲覧。オリジナルの2024年4月6日時点におけるアーカイブ。保科龍朗 (2014年6月21日). “映画の旅人 愛欲の飢餓へ落ちる 『放浪記』(1962年) 流浪がさだめの女ひとり 東京をさすらう愛しても越えられない境界”. 朝日新聞be on Saturday (朝日新聞社): pp. e1–2野崎歓. “文学・評論『ナニカアル』(新潮社)”. 好きな書評家、読ませる書評。. ALL REVIEWS. 2024年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月6日閲覧。
- ^ キネマ旬報1995年1月上旬号 NO.1151 識別子(ISSN)1342-5412
- ^ “坪内逍遥大賞に桐野夏生「今感じることを書く」”. 日本経済新聞. (2021年10月25日) 2021年12月14日閲覧。
- ^ “毎日芸術賞の人々:/1 桐野夏生さん/永田和宏さん”. 毎日新聞. 2023年1月6日閲覧。
- ^ “日活ホームページ”. 日活. 2021年10月27日閲覧。
固有名詞の分類
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