文化勲章 文化勲章の概要

文化勲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 07:49 UTC 版)

文化勲章
文化勲章の正章(右)と略綬(左)
日本の勲章
淡紫
創設者 昭和天皇
対象 文化ノ発達ニ関シ勲績卓絶ナル者
状態 存続
歴史・統計
創設 1937年昭和12年)2月11日
期間 1937年 - 現在
最初の授与 1937年4月28日
序列
上位 桐花章
同位 旭日大綬章瑞宝大綬章・宝冠大綬章
文化勲章の綬
文化勲章を佩用した初代中村吉右衛門1951年昭和26年)受章)
平成25年度文化勲章親授式にて安倍晋三首相と記念撮影をする受賞者。左から医学者の本庶佑、万葉学者の中西進、書家の高木聖鶴、安倍首相、工学者の岩崎俊一、俳優の高倉健

概要

科学技術芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者に授与される、階級の無い単一級の勲章である[1]。 当時の内閣総理大臣廣田弘毅の発案により[2]1937年文化勲章令昭和12年2月11日勅令第9号)により制定された[3]

意匠

文化勲章は他の勲章と異なり、制式と図様についても1937年の「文化勲章令」(昭和12年2月11日勅令第9号)により定められている。賞勲局よび造幣局の嘱託であった東京高等工芸学校教授畑正吉デザインした[4]。なお、意匠橘花を基調とするが、これには昭和天皇の意向が反映されている(後述)。

文化勲章は、章、鈕、環、綬の各部から構成されている。

表面はの五弁の花の中心に三つ巴曲玉を配し、裏面は青地に「勲功旌章」と刻む[5]
鈕は橘の葉と実を、それぞれ緑色と淡緑色で表す。
環は金色で小形の楕円とする。
綬の色は淡紫色で、幅は3.7センチメートルに定められている。
略綬
淡紫色で直径1センチメートルのロゼット[5]、同色の翼を付すこととされている。
蓋表に鈕の図と「文化勲章」の字を記す[5]

意匠制定と昭和天皇

東京朝日新聞記者で長く宮内省記者会に所属した井原頼明は、自著『皇室事典』(冨山房、勲章制定の翌1938年(昭和13年)に初版[注 1])で、昭和天皇の意向で意匠桜花から橘花に変更されたことを伝聞として、なぜ橘花なのかを自説として紹介している。

なほ文化勲章の圖案はもと櫻花に配するに曲玉の意匠であつたが、「櫻は昔から武を表はす意味によく用ゐられてゐるから、文の方面の勲績を賞旌するには橘を用ゐたらどうか」との意味の畏き思召を拜し、恐懼した當局では更に案を練って工夫を凝らし、橘花に曲玉を配した意義深い圖案が制定されたと承る。
橘は古來我が國では尊重され愛好せられ、桓武天皇平安京に遷都遊ばされてからは紫宸殿の南庭に用ゐられて右近橘と稱せられ、左近櫻と共に併稱せられて今日に及び、萬葉集にも數多く詠ぜられてゐるところである。垂仁天皇常世國に橘を求められたことよりして、橘は永劫悠久の意味を有してゐるものであり、その悠久性永遠性は文化の永久性を表現するのに最も適するものとの聖慮と拜察される。 — 井原頼明『皇室事典 増補版』冨山房、1979年(昭和54年)。233頁

1976年昭和51年)8月23日那須御用邸における天皇と記者との懇談の際、天皇はこの件について質問を受けた。天皇は意匠制定に関与したことを否定せず、「橘の方は常緑樹でもあるし、『古事記』にも出てくるし、文化と言うのは、生命が長くなければならない、と感じたからです」とその意図を説明した[6]

授与

2000年11月3日皇居にて第125代天皇(手前左)から文化勲章を授与される筑波大学名誉教授白川英樹(手前右)

親授式が毎年11月3日文化の日皇居宮殿松の間で行われ、天皇から直接授与(親授)される。

1997年(平成9年)から現行の天皇親授に切り替えられたが、それまでは宮中で天皇臨席のもとに内閣総理大臣が勲記と勲章を手交する伝達式の形式で行われていた。そのため、以前は同じく宮中伝達式により授与される旧勲二等と同位に位置づけられていたが、現在では同じく天皇親授により授与される大綬章(旧勲一等)と同位に位置づけられている[注 2]


注釈

  1. ^ 本書の題字と序文は、初版時の現職の宮内大臣と宮内次官が著している。井原頼明『皇室事典』(増補版)、冨山房、1979年(昭和54年)。ISBN 978-4-572-00038-5
  2. ^ 文化勲章は単一級であるため、その位置づけは分かりにくい。長らく「勲一等と勲二等の間」と見られてきた。しかし、現在では他の勲章の「大綬章」並み(かつての「勲一等」並み)と見るむきもある。なぜならば、「大綬章」以上は天皇から渡される「親授」であるところ、文化勲章は創設60年目の1997年(平成9年)以降、親授されているからである。(参照:栗原俊雄著『勲章 知られざる素顔』、岩波新書、2011年。)
  3. ^ アームストロングは既に除隊しており、アメリカ航空宇宙局(NASA)に所属していた。

出典

  1. ^ 階級のない新勲章が制定される『東京朝日新聞』(昭和12年2月12日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p653 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ 文化貢獻者顯彰を首相閣議で提議』.大阪朝日新聞1936年(昭和11年)11月18日
  3. ^ 文化勲章令 - e-Gov法令検索、2019年8月13日閲覧。
  4. ^ 文化勲章 造幣局極祕に謹製』.大阪毎日新聞1937年(昭和12年)2月16日
  5. ^ a b c 文化勲章 - 筑西市デジタルアーカイブ、2023年2月4日閲覧。
  6. ^ 『陛下、お尋ね申し上げます』 1988 p.243
  7. ^ 文化勲章受章候補者推薦要綱(平成2年12月12日内閣総理大臣決定)、勲章及び文化勲章各受章者の選考手続について(昭和53年6月20日閣議了解)。
  8. ^ a b c d 文化勲章イシグロ氏外れる 文科省「コメントを控える」、毎日新聞2017年10月24日 19時15分(最終更新 10月24日 22時36分)。
  9. ^ 吉野氏ら文化勲章=功労者は玉三郎さん 時事通信2019年10月29日
  10. ^ イシグロ氏 文化勲章? 「国家に功績」解釈分かれ、毎日新聞2017年10月13日 07時30分(最終更新 10月13日 07時30分)。
  11. ^ 「大江健三郎さん、文化勲章を辞退 戦後民主主義世代、「国絡みの賞は受けない」」『読売新聞』1994年10月15日夕刊
  12. ^ OBITUARY Kenzaburo Oe: A Nobel Prize Author Who Exposed the Human Condition”. JAPAN Forward. 2023年10月27日閲覧。
  13. ^ 大江健三郎氏 写真特集”. 時事通信社. 2023年10月27日閲覧。
  14. ^ 大江健三郎氏 写真特集”. 時事通信社. 2023年10月27日閲覧。
  15. ^ 「杉村春子さんが文化勲章を辞退 「現役続けたい」」『読売新聞』1995年10月27日朝刊
  16. ^ "文化勲章の報、ベッドの妻は小さく「うん」牧阿佐美さん最後の言葉". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 26 October 2021. 2021年10月26日閲覧






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