愛知大学野球連盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 09:30 UTC 版)
愛知大学野球連盟 | |
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競技 | 野球 |
創立 | 1949年 |
参加チーム | 26 |
国 | 日本 |
前回優勝 | 1部:名城大学(14回目) 2部:同朋大学(7回目) 3部:南山大学(11回目) |
最多優勝 | 1部:愛知学院大学(47回) 2部:名古屋学院大学(25回) 3部:名古屋工業大学(14回) |
公式サイト | 愛知大学野球連盟 |
略史
戦後の1949年に名古屋に所在する大学で愛知七大学野球連盟を設立したのが始まりである。
1946年の学制改革を受けて翌年に全国新制大学野球連盟が発足。1952年には旧制大学連盟による全国大学野球連盟と新制大学野球連盟の合併と発展的解消により全日本大学野球連盟が誕生。愛知六大学野球連盟と共にその他の東海地域を東海地区として編成。翌年までには北陸地区を含めた中部地区大学野球連盟を編成し、1965年の単独枠獲得までは中部地区の代表決定戦に出場しての選手権大会出場となっていた。
なお大学球界の中では東京・関西に次ぐ強豪校が集まった連盟として知られており、全日本大学野球選手権大会への出場枠が中部地区としてあった当時から代表は全て愛知連盟から出場している。古くから中部・東海地区の盟主であることはもとより、関東・関西地域以外からいち早く優勝校を出した地方の盟主でもあった。その実績が認められ、過去3度行なわれている全日本大学野球選手権大会の地方大会(名古屋大会)を全国で初めて主催した。
また、大学野球には珍しく一県一連盟の活動をしてきたことと地方の大都市圏という性格上、徐々に加盟校を増やしてきた。
1999年に連盟内の再編改革案や運営への不満を理由に一部の加盟校による分裂騒動が発生。強行独立・復帰など紆余曲折を経て約2年をかけて収束・沈静化し現在に至る(詳細については、連盟分裂騒動の箇所を参照)。
沿革
※関連団体についても併記
- 1946年 学制改革が実施。
- 1947年 全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟が発足。
- 1949年 愛知大学、愛知学芸大学(現:愛知教育大学)、名古屋大学、名古屋工業大学、名古屋市立大学、南山大学、名城大学の7チームで愛知七大学野球連盟が発足。
- 1950年 愛知六大学野球連盟と改称。
- 1952年 全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟が合併し全日本大学野球連盟が発足。代表枠として愛知六大学野球連盟を含めた東海地区が組織される。
- 1953年 愛知・東海地区に北陸地区を加えて、中部地区大学野球連盟を編成。全日本大学野球選手権大会の代表については中部地区内の各地域代表複数校により代表決定戦を開始。
- 1965年 中部地区大学野球連盟の傘下から愛知大学野球連盟が独立。
- 1967年 全日本大学野球選手権大会の初の地方開催として名古屋大会を主催。
- 1970年 全日本大学野球選手権大会において中京大学が連盟代表として初優勝に耀き、同年秋から始まった明治神宮野球大会にも連盟代表として準優勝。
- 1972年 明治神宮野球大会の出場枠が再編され、中京地区として愛知大学野球連盟と中部地区大学野球連盟間で代表決定戦を開始。
- 1980年 明治神宮野球大会の出場枠が再編され、愛知大学野球連盟が単独枠となる。
- 1986年 明治神宮野球大会において愛知工業大学が連盟代表初の優勝。
- 1987年 関西六大学野球連盟と対抗戦を開始。
- 1991年 明治神宮野球大会において愛知学院大学が連盟代表2度目の優勝。
- 1999年 年末に連盟の再編案を巡って紛糾。
- 2001年 秋季リーグから入れ替え戦を各部2校ずつで実施。
- 2003年 星城大学、人間環境大学が加盟、5部制を施行。
- 2005年 北陸大学野球野球連盟と東海地区大学野球連盟と愛知大学野球連盟の3連盟間で1代表となる。
- 2011年 春季リーグから入れ替え戦を各部1校ずつに戻す。
チーム数の変遷
年・期 | 全チーム数 | 1部 | 2部 | 3部 | 4部 | 5部 | 備考 |
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1949年秋季 | 7 | 7 | - | - | - | - | 愛知七大学野球連盟発足 |
1950年秋季 | 6 | 6 | - | - | - | - | 名古屋工業大学が脱退 愛知六大学野球連盟に改称 |
1953年春季 | 9 | 6 | - | - | - | - | 愛知学生野球連盟に改称 愛知学院大学、東海同朋大学(現:同朋大学)、名古屋商科大学が加盟するがリーグには参加せず[1] |
1953年秋季 | 10 | 6 | 4 | - | - | - | 名古屋工業大学が再加盟 2部リーグを新設[2] |
1956年春季 | 11 | 6 | 5 | - | - | - | 中京大学が加盟 |
1957年秋季 | 10 | 6 | 4 | - | - | - | 東海同朋大学が脱退 |
1966年春季 | 13 | 6 | 4 | 3 | - | - | 愛知工業大学、中部工業大学(現:中部大学)、名古屋学院大学が加盟 3部リーグを新設 |
1974年春季 | 14 | 6 | 4 | 4 | - | - | 同朋大学が再加盟 |
1978年春季 | 15 | 6 | 4 | 5 | - | - | 日本福祉大学が加盟 |
1979年秋季 | 15 | 6 | 5 | 4 | - | - | 2部が5チーム・3部が4チームに変更 |
1982年秋季 | 16 | 6 | 6 | 4 | - | - | 豊橋技術科学大学が加盟 2部が6チームに増加 |
1985年秋季 | 17 | 6 | 6 | 5 | - | - | 名古屋経済大学が加盟 |
1987年秋季 | 18 | 6 | 6 | 6 | - | - | 大同工業大学(現:大同大学)が加盟 |
1988年春季 | 19 | 6 | 6 | 7 | - | - | 愛知学泉大学が加盟 |
1988年秋季 | 19 | 6 | 6 | 4 | 3 | - | 4部リーグを新設 |
1992年秋季 | 20 | 6 | 6 | 4 | 4 | - | 名古屋外国語大学が加盟 |
1996年春季 | 21 | 6 | 6 | 5 | 4 | - | 東海学園大学が加盟 3部が5チームに増加 |
1996年秋季 | 22 | 6 | 6 | 5 | 5 | - | 愛知淑徳大学が加盟 |
2000年春季 | 22 | 6 | 6 | 5 | 5 | - | 後述する連盟分裂騒動により4部リーグが臨時部リーグに改称 |
2000年秋季 | 23 | 6 | 6 | 6 | 5 | - | 愛知産業大学が加盟(臨時部リーグではなく3部リーグに所属) |
2001年春季 | 24 | 6 | 6 | 6 | 6 | - | 臨時部リーグが再び4部リーグに改称 愛知文教大学が加盟(再改称された4部リーグに所属) |
2001年秋季 | 25 | 6 | 6 | 6 | 7 | - | 豊橋技術科学大学が脱退 東邦学園大学(現:愛知東邦大学)、名古屋産業大学が加盟 |
2003年春季 | 27 | 6 | 6 | 6 | 6 | 3 | 星城大学、人間環境大学が加盟 5部リーグを新設 |
2005年秋季 | 26 | 6 | 6 | 6 | 6 | 2 | 愛知文教大学が脱退 |
2006年秋季 | 27 | 6 | 6 | 6 | 6 | 3 | 中京女子大学(現:至学館大学)が加盟 |
2009年春季 | 28 | 6 | 6 | 6 | 6 | 4 | 愛知みずほ大学が加盟 |
2010年秋季 | 29 | 6 | 6 | 6 | 6 | 5 | 豊橋技術科学大学が再加盟 |
2012年秋季 | 29 | 6 | 12 | 11 | - | - | 5部リーグ制から3部リーグ制に再編成 (1部リーグは維持、旧2部・3部所属チームが新2部、旧4部・5部所属チームが新3部) |
2013年秋季 | 28 | 6 | 12 | 10 | - | - | 人間環境大学が脱退 |
2016年春季 | 27 | 6 | 12 | 9 | - | - | 愛知みずほ大学が脱退 |
2021年春季 | 26 | 6 | 12 | 8 | - | - | 愛知学泉大学が脱退 |
- ^ 春季リーグ戦終了後に加盟した3チームが対決し、勝利した愛知学院大学が1部最下位の名古市立大学と1部参入決定戦行い、愛知学院大学が勝利して秋季リーグから1部に参入した。
- ^ 2部リーグには再加盟した名古屋工業大学、春季にリーグに加盟した東海同朋大学、名古屋商科大学、1部参入決定戦に敗れ降格してきた名古市立大学の4チームで行われた。
- ^ それ以前のリーグ創設時から昭和までの優勝チーム・順位・入れ替え戦の結果は下記を参照。
愛知大学野球連盟 一部リーグ歴代優勝校(全国大学野球総合情報サイト大学野球~神宮への道~)
愛知大学野球連盟 二部リーグ歴代優勝校(全国大学野球総合情報サイト大学野球~神宮への道~)
愛知大学野球連盟 三部リーグ歴代優勝校(全国大学野球総合情報サイト大学野球~神宮への道~)
愛知大学野球連盟 旧四部リーグ歴代優勝校(全国大学野球総合情報サイト大学野球~神宮への道~) - ^ 2006年春季に女子選手のみのチームで準加盟して5部リーグにオープン参加、同年秋季より正式に加盟。女子選手時代は正式加盟時から全リーグ戦全敗であったが、2009年秋季より男子選手との混合チームに変更しそれまで足かけ4年に渡る連敗記録を54で止めた。2010年秋季より女子部員は出場選手登録されなくなり、その後硬式野球部(男子)・硬式野球部(女子)に分離、女子は現在日本女子野球協会主催の大会で活動している。
- ^ 全員が1年生であった部員のうち、9人が同朋大学に、1人が愛知学泉大学に編入学した。その後、大学自体も2009年度をもって学生募集終了。
- ^ 新制の愛知六大学野球連盟構想に含まれていた愛知学院大学は、当時連盟理事校でもあり、連盟分裂には反対を表明していた。
- ^ この「臨時部」は自称「アイ・リーグ(I League)」と呼ばれていて、愛知の「愛」と「Independence(独立)」の「I」を意味する。
- ^ 連盟の総意としては、復帰組へのペナルティーを課すことになったが、事務局としては連盟の平穏なる継続維持を渇望していたため、非再編派の多くが望んだ徹底的な処罰断行を緩衝する役割も果たした。
- ^ 過去に千葉県大学野球連盟(1・2部間)で1981年春季から1986年秋季まで行われ、最近では首都大学野球連盟(1・2部間)で2014年春季から2015年春季まで行われた。
- ^ 2002年春季に中京大学(2002年秋季に一度2部に降格したが、翌2003年春季に再度1部に昇格)、2002年秋季に愛知大学・愛知工業大学、そして2003年秋季に名城大学が1部に復帰して元1部在籍校が全校1部に復帰した。
- 1 愛知大学野球連盟とは
- 2 愛知大学野球連盟の概要
- 3 特徴
- 4 歴代優勝
- 5 加盟大学
- 6 関連項目
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